その人の「一点」を見据える③

あそび

理由がない、無心という有り様から私が連想するのは、「あそび」です。

 

あそびに熱中していると、時を忘れる、寝食を忘れるくらい面白い。

 

そこには、理由づけや価値づけ以前の何かがある。

 

大人になっても仕事や活動に没頭している人は、そんな雰囲気を醸し出していると思います。

 

さらに、あそびから私が連想するのは「ジンガ」です。

 

ジンガとは、一般的にはブラジルのサッカー選手等の独特の身体的な動きを指します。

 

サッカーはあそびだ、という言葉がありますが、その言葉にはジンガという現象が多分に含まれている気がします。

 

私の理解するところ、ジンガとは目に見えない、その人特有のリズムのことです。

 

サッカーにおいて、いやそれ以外のことでも、その人のオリジナルな生命リズムが発露した時に、人は新鮮な創造性・表現性を感じる。

 

その新鮮な創造性・表現性こそ、あそびそのものだ、そう言えると思います。

 

但し、ジンガは子供の時から長年かけて、自然に身につけるものに違いありません。

 

自然に身につけるということは、誰に言われるわけでもなく、自発的に身につけるのだと思います。

 

自発的に身につけることには教科書がありませんから、身につけるまでに失敗をたくさんするはずです。

 

ですが、家庭や学校で大人が子供の失敗に対して我慢できず、先回りして答えを教えてしまうケースもあります。

 

そういう大人は自身の不安を子供に向けているに過ぎないという気がします。

 

失敗を見届け、自発が萌芽するのを辛抱強く待つことも必要だと思います。

 

2022年3月30日 佐藤