心についてのメモ書き(7)-死と再生②

死と再生について②

木々の葉が色付き、やがて落ちる季節になりました。

自然界に季節が存在するように、自然の一部たる我々人間自身にも、季節が存在しています。
一日という単位では、午前のフレッシュな気分=春、午後の活動的な営み=夏、夕方から夜の内省と楽しみの時間=秋、眠り=冬、とイメージすることができますし、一生というスパンでは、誕生=春、少年・青年=夏、壮年・老年=秋、死=冬、ということもできます。

面白いことに、人はそれぞれ特有の「季節」を持っていると思います。
一生のなかで、学びと体験の日々である青年期=夏が長い人もいれば、内省を経験として熟成させるために壮年期=秋が長い人もいる。

また、このような意味合いとしての「季節」を一巡りだけでなく、二巡り以上過ごされる味わい深い方もいますが、その場合「冬」には葉が落ちるようにそれまでのこだわり等を捨て、一旦死に入り、それまでの経験を踏まえた次の誕生=春の準備をするわけです。

ここで大切なことは、我々はひとりひとりに特有のこのような大自然のリズムを内にたたえており、色々な営みにもその人なりの「時」があるということ、その声に耳を傾ける、ということです。

ところで、本当の死はやがて誰にも訪れるわけですが、死=冬の後には、当然春がやってきます。このテーマは古来から、キリスト教の「復活」、仏教の「輪廻転生」などが扱ってきましたが、これについてはまたどこかで書きたいと思います。

2014年11月4日