参考になる本など(4)-精神科薬物治療を語ろう

精神科薬物治療を語ろう/神田橋條治他著 日本評論社 2007年

私は精神科薬物そのものは否定しません。
クライアントの状態によっては、時機を得た服薬は有効と考えます。
ここで、薬単独の効能と並んで重要なのは、薬の利き方や副作用の感じ方をクライアントと医師が話し合うことだと思います。

その話し合いの過程には、クライアントの心身両面の観察や生活への配慮、将来的な生活方針への医師とクライアントの相互了解など、(薬物療法とともに)精神療法が必然的に生まれるものです。

その過程に明確に位置づけ(服薬の動機や目標、そして薬からの離脱時期など)られてはじめて薬物は機能します。
逆に言うと、そのような会話をしない医師は避けるべきでしょう、マニュアルに従い処方しているだけで医療とは呼べないものです(こんな医師がたくさん存在するのも事実ですが)。

今回ご紹介する本は、代表的な抗精神病薬・抗うつ薬などについて、利き方や副作用の官能評価(クライアント個人個人の異なる感じ方)を何人かの医師が失敗例含め具体的なケースを挙げて議論しています。
クライアント側の立場を勉強し理解しようとする、いずれも意欲的な医師の方たちです。

読むと、同じ薬でも体質、時期、状態、医師との信頼関係、本人の納得性により様々な結果をうむこと、また、効能が確定している薬はそれほど無く、医師も暗中模索という側面も多分にあること、などが分かります。
尚、神田橋條治さんというその道では名人と呼ばれる医師が議論に厚みをもたせていまので、興味深い箇所を以下に引用しておきます。

「パキシル」(選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI))についての対談の箇所より引用。

<170ページ>
神田橋:僕はパキシルは嫌いでねえ。切れ味がよいとかなんとかで、異常に市場が拡大していて、漫然と投与されているのが嫌いな理由のひとつなんです。薬屋さんが太鼓をたたけば、医者がペンを持って踊るような感じがするんです。不愉快だ(笑)。
もう少し「パキシルは○○に使う」というのが確立するまでは使いたくない、というのがもうひとつの理由。
だけどそれはいくらか冗談で、本当の理由を言うと、パキシルは最後の1錠になってから、終わらんのですよね。そう思いません?永遠にパキシル界の住人みたいになるんで本当に嫌いなの。
一方、ルボックス(筆者注:この薬もSSRIの一種)はある時期に終わるんですよ。「じゃあこれで、あなたの治療は終わって、あとは漢方だけ服みましょうか」となるけど、パキシルは最後の1粒になって、もういいだろうと思ってやめると悪くなって、また1粒出して。パキシルを持続しないと、離脱症候群のような自律神経症状じゃなくて、明らかに根幹のうつが悪くなりますよね。

<173ページ>
神田橋:その人がたしか70歳くらいでしたね。全然治らなかったから、西園先生からその人を僕が引き継いで、西園先生は福岡大学の教授になった。その人もしょっちゅう首をつったり、川にはまったりする人でした。
18歳で家督を継いで、借金だけを相続したのだけど、せっせせっせと働いて、少しずつ少しずつお金を貯めて、農家なので田んぼや畑を買いました。
そして子どもたちを育ててこられたら、突然の土地ブームでそのあたりの地価がものすごく上がりました。何億という財産になって、億万長者になったので、子どもたちは皆、ビル業やら不動産業になって、お父さんが買ったその土地にばーっとビルを建てた。土地は全部お父さんが持っているので、お父さんは何もしなくてもお金がごろごろ入ってくるようになって、それでうつ病になって、しょっちゅう首をつったりしていました。
「あなたは農業やりたいんだから、農業やらないかん。農業しなさい」と言ったら、坪100万円くらいする土地の少し空いたところを畑にして、大根を作って、近所に持っていく。「あそこにビルを建てるつもりだったのに、お父さんが大根やら作って困った」と息子が言ってくるから、「まあ首をつるよりいいがね」と説得して作らせ続けた。
そしたら、だんだん元気になって、ものすごいことが起こったんです。その隣にまだ空いた土地があって、そこは自分の土地じゃなかったんですが、そこにビルが建つ話が持ち上がった。
そうしたら「自分の畑に日が当たらんから」という理由で、実印は全部持っていますから、自分の土地や建物を担保にして、1億くらいお金を借りてきて、そこを全部買い占めて、ビルが建たないようにしたんですよ。子どもたちは参っていたけどなあ。それで毎日畑で人参と大根を作って、90いくつで亡くなられた。たいしたもんでしたよ。
おかげで僕は、福岡に家を建てるときには、そこの息子さんたちが土地探しなどいろいろしてくれた。今でも付き合いがあるけどね。
その人の人生の根幹が失われたらいかんですよ。これは絶対だと宣言します。何回も川に飛び込んだり、もう大変だったんだ。西園先生も参っていた。まだほかにもいっぱいありますよ。
簡単なんです。少しでも「我がママ」ということを思い浮かべさせて、「我がママ」に生きればどうなるのかっていうことを一緒に考えていくとね、遷延うつ病はなおるんです。それが精神療法です。


2015年2月3日

私は精神科薬物そのものは否定しません。
クライアントの状態によっては、時機を得た服薬は有効と考えます。
ここで、薬単独の効能と並んで重要なのは、薬の利き方や副作用の感じ方をクライアントと医師が話し合うことだと思います。

その話し合いの過程には、クライアントの心身両面の観察や生活への配慮、将来的な生活方針への医師とクライアントの相互了解など、(薬物療法とともに)精神療法が必然的に生まれるものです。

その過程に明確に位置づけ(服薬の動機や目標、そして薬からの離脱時期など)られてはじめて薬物は機能します。
逆に言うと、そのような会話をしない医師は避けるべきでしょう、マニュアルに従い処方しているだけで医療とは呼べないものです(こんな医師がたくさん存在するのも事実ですが)。

今回ご紹介する本は、代表的な抗精神病薬・抗うつ薬などについて、利き方や副作用の官能評価(クライアント個人個人の異なる感じ方)を何人かの医師が失敗例含め具体的なケースを挙げて議論しています。
クライアント側の立場を勉強し理解しようとする、いずれも意欲的な医師の方たちです。

読むと、同じ薬でも体質、時期、状態、医師との信頼関係、本人の納得性により様々な結果をうむこと、また、効能が確定している薬はそれほど無く、医師も暗中模索という側面も多分にあること、などが分かります。
尚、神田橋條治さんというその道では名人と呼ばれる医師が議論に厚みをもたせていまので、興味深い箇所を以下に引用しておきます。

「パキシル」(選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI))についての対談の箇所より引用。

<170ページ>
神田橋:僕はパキシルは嫌いでねえ。切れ味がよいとかなんとかで、異常に市場が拡大していて、漫然と投与されているのが嫌いな理由のひとつなんです。薬屋さんが太鼓をたたけば、医者がペンを持って踊るような感じがするんです。不愉快だ(笑)。
もう少し「パキシルは○○に使う」というのが確立するまでは使いたくない、というのがもうひとつの理由。
だけどそれはいくらか冗談で、本当の理由を言うと、パキシルは最後の1錠になってから、終わらんのですよね。そう思いません?永遠にパキシル界の住人みたいになるんで本当に嫌いなの。
一方、ルボックス(筆者注:この薬もSSRIの一種)はある時期に終わるんですよ。「じゃあこれで、あなたの治療は終わって、あとは漢方だけ服みましょうか」となるけど、パキシルは最後の1粒になって、もういいだろうと思ってやめると悪くなって、また1粒出して。パキシルを持続しないと、離脱症候群のような自律神経症状じゃなくて、明らかに根幹のうつが悪くなりますよね。

<173ページ>
神田橋:その人がたしか70歳くらいでしたね。全然治らなかったから、西園先生からその人を僕が引き継いで、西園先生は福岡大学の教授になった。その人もしょっちゅう首をつったり、川にはまったりする人でした。
18歳で家督を継いで、借金だけを相続したのだけど、せっせせっせと働いて、少しずつ少しずつお金を貯めて、農家なので田んぼや畑を買いました。
そして子どもたちを育ててこられたら、突然の土地ブームでそのあたりの地価がものすごく上がりました。何億という財産になって、億万長者になったので、子どもたちは皆、ビル業やら不動産業になって、お父さんが買ったその土地にばーっとビルを建てた。土地は全部お父さんが持っているので、お父さんは何もしなくてもお金がごろごろ入ってくるようになって、それでうつ病になって、しょっちゅう首をつったりしていました。
「あなたは農業やりたいんだから、農業やらないかん。農業しなさい」と言ったら、坪100万円くらいする土地の少し空いたところを畑にして、大根を作って、近所に持っていく。「あそこにビルを建てるつもりだったのに、お父さんが大根やら作って困った」と息子が言ってくるから、「まあ首をつるよりいいがね」と説得して作らせ続けた。
そしたら、だんだん元気になって、ものすごいことが起こったんです。その隣にまだ空いた土地があって、そこは自分の土地じゃなかったんですが、そこにビルが建つ話が持ち上がった。
そうしたら「自分の畑に日が当たらんから」という理由で、実印は全部持っていますから、自分の土地や建物を担保にして、1億くらいお金を借りてきて、そこを全部買い占めて、ビルが建たないようにしたんですよ。子どもたちは参っていたけどなあ。それで毎日畑で人参と大根を作って、90いくつで亡くなられた。たいしたもんでしたよ。
おかげで僕は、福岡に家を建てるときには、そこの息子さんたちが土地探しなどいろいろしてくれた。今でも付き合いがあるけどね。
その人の人生の根幹が失われたらいかんですよ。これは絶対だと宣言します。何回も川に飛び込んだり、もう大変だったんだ。西園先生も参っていた。まだほかにもいっぱいありますよ。
簡単なんです。少しでも「我がママ」ということを思い浮かべさせて、「我がママ」に生きればどうなるのかっていうことを一緒に考えていくとね、遷延うつ病はなおるんです。それが精神療法です。

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