心についてのメモ書き(12)ー認知症

認知症という状態について

最近、政府広報やNHKなどで認知症について様々な情報を流しています
私の身の周りにも認知症と思われる人達がいますので、参考になる情報も多いのですが、いつも私が思っていることを付け加えておきたいと思います。

ものの例えですが、自動車は肉体、ドライバーは心、カーナビは脳、とします。
年月が経つにつれて、自動車のタイヤ(足腰)やエンジン系統(内臓)は弱ってきます。
同じようにカーナビ(脳)も調子が悪くなってきます、一般的にはこの状態を認知症と呼んでいるのです。

一方、ドライバー(心)は常にハンドルをにぎっています。それはカーナビがかなり壊れた状態であっても同じことです。
単に誰かや何か(目的地や道順)を認識できない状態であっても心は働いていると私は考えています。すなわちその人の本性というべきものは「生きて」います。
このことは尊厳という言葉に代表されるでしょう。

その際、カーナビがあまり機能しなくなることにより、ドライバー自身の能力をより多く動員して運転することになります
多くの場合、カーナビに記憶させてきたもの、一般常識や親であることの義務感等、は無くなっていき、言動や行動にその人本来の個性あるいは業のようなものが現れてきます。
しかし、それは心の赴くままに道路以外の草原や砂浜を疾走しているのかもしれません。

私の覚えているあの人がこんな風になってしまった、というショックは私にも分かりますが、過去の社会的な属性やお互いの立場は捨てて、人としての本性に向き合う気持ちと覚悟がもてるとよいなと思いま

2015年6月3日