心についてのメモ書き(13)-佇まい

佇まいについて

所作が美しい着物姿の人がいたり、やることがどこか粋だという人がいたり、女性なのに(女性だからこそ)「あの人は男前だ」とか言われたりする人がいます。

この人達にはなんと言いますか、融通無碍、大人の可愛さ、そんな雰囲気が漂っています。私はそれを「佇まい」と呼んでいます。


そんな人達には歩き方や食べ方、服や食材の選び方、関心や注意の向け方など、つまり生き方の一側面、になにか光るものがあると思うのですが、それらのものを表現するために、ある舞台装置のもとにそのやり方を洗練させたものが茶道などの「◯◯道」だと考えています。

あるいは逆に、◯◯道を通じて生き方を磨いていくのでしょう。また、音楽や建築などの芸術もこのやり方や表現をさらに凝縮させたものと言っていいでしょう。


ところで、精神的危機状態から回復した人達にも、しなやかさ、フレッシュさ、などとでも言うべき雰囲気を感じ取ることができます。人生の粋(すい)をわきまえる人達から私が感じる雰囲気と同じ種類のものです。いい感じの佇まいがその人から湧いてくるのです。


心理学者のジェンドリンは、「人格変化が起こるかどうかを決定するのはこれらの知覚(perception)ではなく、現実に生じつつある過程の様式なのである」(P.214「セラピープロセスの小さな一歩」ユージン・ジェンドリン、池見陽著 金剛出版)と書いています。

つまり、何かの定義された内容を知るとか理解するのではなく、その人個人の生き方(=様式)を生きる(=過程)こと(を自覚すること)で、人格が変容すると言っているのです。


おそらく、生のよろこびの本質は、何かの対象に対してではなく、いつでも何についてでも、その人のやり方で生を生きるということにあるのでしょう。

そういう意味で、真に自分の生き方を体得した人には、生を体現したよろこびが輝きとなって発生してきて、その輝きが想いや行動に反映され、その総体が佇まいとなり、時に素晴らしい芸術表現がなされると思うのです。


2015年7月2日