参考になる本など(6)-タクシードライバー

タクシードライバー/マーティン・スコセッシ監督(映画)1976年

この映画では、主人公が4人の殺人、1人の殺人未遂を犯します。

そのうち3人の殺人については銃を何丁も用意しての計画的犯行なのですが、少女を救うためとはいえ、一切お咎めなく済むというのは現実にはあり得ないことだと思います。

ですから、この映画は一種の「寓話」だと私は解釈しています、そういう前提で書いてみたいと思います。


主人公トラビスは、漠然とした何かをかかえているようです。
自分の運転するタクシーに乗せた政治家に「この街(ニューヨーク)の何に不満があるか」と聞かれ、吐き出すように「麻薬の売人や売春婦らを洗い流して、街をきれいにしてほしい」と言います。

怒りの感情がストレートに表現されていて、私の好きなシーンです。


しかし、政治家は「うーん、それは難しいな」などと応え、お茶を濁します。
あるいは、大統領選の選挙事務所で働く女性をお茶に誘うときにトラビスは「貴女はこの事務所で孤独だ」と指摘し、女性にとってもそれは図星のようです。


彼は、どこかよそよそしい事務所の雰囲気に偽善のような臭いを嗅ぎとったのでしょう。しかし彼が女性をポルノ映画に連れて行ったことで、女性とは別れます。

どこか不器用なところがあるとはいえ、彼の感性の鋭さ、真っ当な怒りなどは常人以上に思えます。

しかし未だ彼はそのことを自覚して感じ取れていないようです。


そんな彼はある日とうとうドライバー仲間の先輩に「完全に落ち込んでしまった」と悩みを打ち明けますが、「俺たちみたいな最下層に何ができる」「あまり考えすぎるな」などと言われます。

彼は「そんなバカな話ははじめて聞いた」と先輩の話に納得しません。


この場面は、今日も日本の会社(先輩社員に悩みを相談する等)や学校(スクールカウンセラーに進路を相談する等)で日々交わされていそうな会話です。

精神医療の場においてさえ、相談しに来た人の悩みの背景や構造を捉えず(捉える技術を持たず)、「アドバイス」と称し自分の価値観を持ち出して「そんなこと考え過ぎですよ」みたいなことを言う治療者がときどきいます。

そして、そんなことを言われた人達は「この人に話しても無駄だ」とすぐさま了解してそこを立ち去り、悩みを抱え続けます。


さて、トラビスはある日を境に身体を鍛えだし、銃を買います。

そして政治家の暗殺に失敗、その後売春宿で3人のギャングを殺害し、商売をさせられていた少女を救い出します。


私は思うのですが、人間清々としたものだけでは生きていけず、黒々としたエネルギーも必要だということです。

暴力的なまでの衝動、ぐつぐつ煮えたぎるような執念、つまり動物である人間が本来持っている野生性をきちんと承認して活かしてあげることが、活き活きと人生を送るための重要な側面なのです。


こういうエネルギーを否定すると、自己の一部を否定することになって心に障害が生じますし、だいいち人格が平板で深みのないものになってしまいます。

また想像ですが、プロのスポーツ選手とか画期的な物質や技術の発明者などには必須の条件ではないでしょうか。

悪事を働くということでなく、強烈なエネルギーを自分で自覚すること、それを表現するということです。

トラビスは少なくとも自らのエネルギーの存在だけは感じとったようです。


ラストの方で、彼はドライバー仲間とよもやま話をしていますが、アドバイスをした先輩ドライバーはトラビスの顔をまともに見れない感じです。
また、選挙事務所の女性が彼のタクシーに乗ってきます。

いまや彼女はトラビスのエネルギーとその表現されたものに、なにか目を覚まされたというか一喝されたかのような静かで素直な様子です。


トラビスの黒々としたエネルギーは、社会や政治の欺瞞や偽善を露わにして人々に冷や水を浴びせて目を覚まさせ、陳腐な価値観を飛び超えて、大いなるものを実現したのです。

このことは、カウンセリングやセラピーなどが視野においているものと全く同じです。


2015年8月4日