サラリーパーソンの護心術−シールド

シールドを設ける

残業や休日出勤をどれくらいしていますか?

 

もちろん仕事内容によりけりですが、どうしても残業・休出をせざるを得ない場合はあると思います。

 

この「せざるを得ない」場合のうち、一つはその仕事自身の持つ「制約」によるもの、つまり、それをしないと仕事が立ち行かないケースです。

例えば、決算時期の経理部、クリスマス・年末のデパートなど。

 

もう一つは、仕事というより、その部署特有の「質の悪い文化」です。

上司より先に帰ってはいけない雰囲気がある、とか、定時きっかりに退社するヤツは仕事をしていないと思われる空気がある、などです。

 

「制約」に関しては、ある程度までなら受け入れる必要がありそうです。

給料をもらうことや職場メンバーとしての認知、という条件と引き換えなら、止むを得ないかもしれません。

 

しかし、その「制約」も平日は毎日4時間残業、休出も土曜日は当たり前、となるともはや逸脱した制約=抑圧でしょう。

 

また、職場特有の「質の悪い文化」も性質は違いますが、抑圧的であることに違いはないと思います。

 

仕事は定時で切り上げて家に帰りゆっくりする、土日も好きなことをしてのんびりする。

精神が健康で、自分を大切にする人なら、そう思うのはごくごく当たり前という気がします

心にも身体にも、人生の質と同時に、「量」すなわちまとまった時間も大切なものです。

 

ですから、もしも職場の環境が抑圧的である場合には、自分を守るために、シールド(盾)を設けざるを得ないと私は考えます。

つまり、「その時間・曜日は仕事をすることができないと宣言しておく」のです。

 

親、親戚、近所に独居で高齢で支援が必要な人はいませんか。

子供がいれば、送り迎えもするでしょう。

買い物など、それをするための準備も必要でしょう。

とにかく、「◯曜日にはこれをするので定時で帰る」と周囲に言っておく。

そして、宣言した曜日はきっちり帰る。

 

「習い事がある」などの自分自身の理由では、残念ではありますが、今の日本の会社ではおそらく周囲は受け入れる可能性は高くないでしょうから、念の為に自分以外のところに理由をつくっておくのです。

 

同僚に悪い、と思う人もいるでしょう。

それはそれでいいかもしれません。

 

しかし、のべつまくなしの仕事に自分の時間を奪われて、大丈夫でしょうか。

同僚も含めた社員は、個人個人の思いに関係なく、平等に残業を引き受けるべきなのでしょうか。

 

仕事のための人生か、人生のための仕事か。

仕事というものを一歩ひいてクールにながめると、仕事の位置づけが見えてくるかもしれません。

その上で、仕事との折り合い点を探ってみる。

その作業は自分にしかできません、他人と自分の考えていることは全く違います。

 

自分や自分の時間を守るためには、それ相応のやり方も必要だと思います。

 

2016年1月19日