サラリーパーソンの護心術−曲がり角①

曲がり角①

毎朝起きるたびに、「もう惰性で会社に行っているなー」と感じながらも、「とりあえず定年までは会社に居続けるんだろうな」と漠然と思っている方はかなりおられると想像します。

 

おそらく、その方の年齢は40〜50才くらい。

 

この年齢になると、20年以上会社生活を経験して、良くも悪くも、自分にとって会社員であるということの意味や限界も見えてきているかもしれません。

 

でも、親に負担をかけ、予備校などにも通ってそこそこ偏差値のいい大学に行かせてもらい、それなりに厳しい就職活動をくぐり抜けて、せっかく入った会社。

別に他にやりたいことがあるわけでもなし、給料も一番高い年代だし、とりあえず会社に居続けますよ、というのが本当のところだと思います。

 

しかし一方では、こんな時期に、漠然としてはいるが大きな不安を感じたり、かなり憂鬱な気分になる人も多いように見受けられます。

 

では、何故そのタイミングで精神的な不安定さを感じるのでしょうか?

そのことを考えるために、古代からインドで伝えられている「四住期」を取り上げてみたいと思います。

 

四住期(しじゅうき)とは、学生(がくしょう)、家住(かじゅう)、林棲(りんせい)、遊行(ゆぎょう)の四つを指していて、生まれてから死ぬまでの人生の有り様を説いています。

 

学生期は、文字通り学びの時期です。

日本でいうと、生まれてから就職する手前の高校や大学までの期間です。

 

家住期は、家族を持って養っていくために働く時期で、これも日本でいうなら、就職してから定年あたりで退職するまでの期間にあたります。

 

林棲期は、家住期の責任を終えて、家庭や社会を離れて、質素な生活をし、自分の内省にひたる期間です。

インドでは、今も実際に自然の環境に近いところで瞑想生活をする人もいるようです。

 

最後の遊行期は、林棲期に見えてきた自らの内面を抱えながら、聖地を巡り、その途上で死を迎えられれば、それが幸せな一生である、というものです。

 

さて、今の日本には学生・家住期の概念やそれをサポートする社会の仕組みはあるのですが、林棲期と遊行期にあたる概念があるのでしょうか?(続く)

 

2016年1月25日