曲がり角③
(承前)
家住期から林棲期へどうしたらスムーズに移行できるのか。
私が思うに、「〜すべき」とか「〜しなければいけない」
快/不快という、
「家」的な、つまり社会的な制度のなかに「住」
例えば、
(義理でだしている)
(恒例だから出ている)
などなど「
その決断の裏には無意識ではあるが、必ず快/
おそるおそるではあるが、迷いながらも実行してしまう、
小さいことのようですが、実際にやってみると、
そして、そんな行動を徐々に増やしてゆく。
すると、色々な物事に対し、快/不快の基準、「〜
単に快/不快を表に出すなら幼児と変わらないですが、快/
そうするうちに、心のなかで、会社の占める割合が他のことよりも小さく感じられるようになる、
会社以外の「他のこと」が、
また、それは家住期から得たノウハウと独自の生き方の融合=
また、仮にある人がそんな心境に至り、(
家住期のみに生きている人よりも、
つまり、本当の意味での林棲期を必ず経験してきている。
そして、林棲期の中身は、
世間とか会社に教えてもらえるものではないのです。
最後の遊行期については、
林棲期は、生き方をシフトすると同時に、自らの死を見つめる、
死は究極の個人の発現なので、
私個人として感じることは、
この感覚だけで、生き方がだいぶ変わってきました。
(以前書きました「チベットの生と死の書」
以上、「四住期」という考えをもとに書いてみました。
参考文献:生老病死の心理学/吉福伸逸著 春秋社 1990年
2016年2月6日
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