うつからのメッセージ-自我境界

フラクタルな自我境界

 「自我境界」という考え方があります。

自分と自分以外のものとを区別するには、境界が必要ですが、その境界はあまり当たり前のものではなく、存外に苦労して身に付けるものです。

 

生後間もなく六ヶ月頃には早くもこの苦労がやってきます。

空腹感など気持ちの悪いものが実は外からでなく、自分の内側から来ているものだと感じるようになる。

すると、今までイヤなものはえんえん泣いて吐き出せば済んでいたのが、自分にも押し戻される。

そして吐き出すもの、自分に押し戻すものを区別して感じ、考えざるを得なくなる。

そこになにかの仕切りが立ち上がってくる。

個人的には生命体の自我境界とよんでいます。

 

15才頃には反抗期、つまり親の価値観と同じフィールドで生きていたのが、だんだんと自分のフィールドと親のそれとの間に仕切りを設ける必要がでてくる。

そのためには親も子供も真剣に悩み、ぶつかり合うことが必然でさえある。

これを成体の自我境界とよんでいます。

 

ここからは、人によると思いますが、

おおまかには40才前後で、社会の価値観でのフィールドと自分のフィールドに仕切りを設ける人もいます。

これも尋常の悩みでなく、自分のなかでの社会か自分の価値観かの選り別け、軸足を置いていた様々な組織との関わりあい方の見直し等、自らの変容なしには進むことのできないものです。

私は、独立体の自我境界とよんでいます。

 

こんな感じで、境界の対象はフラクタルに大きくなるようにも見えます。

一方では、人は機械ではないので、ある時期の境界が不完全というかその人なりの境界というか、その人特有の人格の背景となっています。

 

ところで、おそらく最後に近い境界の対象は宇宙で、

人間社会を超えたところにあると推測されますが、このあたりにまで射程をすえたのが仏教でいう「空(くう)」などに代表される古来からの宗教だと思います。


2016年4月19日