執着
「元のように働けるようになりたい」と思っているけれども、
こんなことを思っておられる方は多いと思います。
しんどい気持ちだと思います。
しかし、この状態にこそ、
「元のように働く」ことに対して、心と体はノーと言っている。
一方、頭は「元のように働く」ことにイエスと言っているので、
すると心と体は休んだ気がしない。
そんな状態でも、
なぜなら、「元のように働く」
なぜ受け止められないか?
人間は、過去の体験の積み重ねの上に生きている側面があります。
生きる過程での学習、具体的には成功や失敗の体験、
その作業は頭が行っています。
これはこれで大事な作業です。
しかし、この作業が心を圧倒するまでに強大になると、
心や体の作業も、頭と同等以上に大事なものなのに。
それでも、頭は自分を専ら生かしてきた(と思い込んでいる)
それは例えばこんな感じです。
・平日は会社で「一人前に」働くべきだ、
・週末は休んで「仕事への英気を養う時間」にあてる、
・普段一生懸命働いたから、「周りの人みたいに」
・ストレス発散には、エステが「いいらしい」から、
・同僚と「話を合せたり」、
「」内の言葉は頭によるプログラムのエッセンスです。
「世間を渡っていく」ためには有効なものかもしれませんが、
また、強迫的とも言える同調の匂いが濃厚です。
しかし、頭はこれにしがみつき、一旦でもなかなか手放そうとしません。
なぜなら、変化するのを頭は恐れているからです。
社会的に生存するという意味ではこれも止むを得ないかもしれませ
一方、心と体は反抗し、このままでは立ち行かない・・・。
では、どうしたらいいのか。
次回は、どうしたらいいか(どうなるのか)
2016年5月4日