うつからのメッセージ-執着から諦めへ

執着から諦めへ

有効だけれども「世間を渡っていく」以上の意味はないプログラムに執着する頭、「元のように働く」と言っています。

一方、心と体はそのことにこそ反抗しているので、頭との間に本質的な軋轢が生じ、それが苦しい心身状態の原因になっている。

 

そこから抜け出すには下記のことが考えられます。

念の為に申し上げますが、こうすればよい的な方法ではなく、こういうふうになっていくのが現実であり、妥当でもあろうという私個人の考えです。

 

①頭が力尽きるのを待つ

 

頭の執着は、100%悪いことでもなく、人生のスキルという意味では、その人を生かしてきたもので、今後も役に立つ部分もあり、

また、そのスキルに没頭することで、心との間の本格的な葛藤という苦しい作業を(いい意味でも悪い意味でも)とりあえず回避して、一見ストレス無くこれまでは生きてこられた、というものです。

 

ですから、「今のやり方・生き方」ではこの先うまくゆかない、ということを頭はちょっとやそっとでは認めようとしません。

 

従い、酷なことを言うようですが、頭には「からだで分かってもらう」ことも必要だと思います。

(頭で考たり、知識を仕入れて)色んな方法を試しても、全くうまくゆかない、復職しても休職してしまう。

よって、「もう(頭サイドの)万策尽きた」という諦めの感じになるまで、つまり頭のプレゼンスが後退するのを待ちます(待たざるを得ない)、大変なことですが。

もちろん、これを体験しないにこしたことはありません。

とにかく、それくらい、本当に人間というものは頑固です。

 

②心と体を休める

 

うつの時には、長年の頭の横暴により、心と体は疲れています。

うつ状態は、頭への反抗という意図と同時に、心と体からの「休みたい」というメッセージでもあります。

 

このときにまだ頭が思い上がった状態だと、休もうとしている心と体を責めるのですが、こんな時こそ「働いて当たり前」「周囲に溶けこまなくちゃ」のような「頑張る」系の知識を完全に「諦めた」頭が、何かの機会に「心と体の欲するままに休んでいいんです、自責は頭サイドのプログラミングの名残りなんです」という考えや、そう言ってくれる人に出会うと、頭サイドもそれを受け入れ易い状態になっているので、真の休養となり得ます。

 

③頭と心の対話の準備

 

また、うつ状態の際のあたかも「殻にこもる」的な休養のあり方は、頭と心の間の対話、つまり葛藤の準備でもあります。

頭が長年良かれと考え周囲から吸収し続けてきたことから(必然的に!殻によって)一旦遮断されて、独り内的に籠り心の声に耳を澄ますことを試み始めます。

 

立ち直ってゆくには、人によるとは思いますが、①〜③はミックスした感じで経験すると思われます(①を最小限にしたいものですし、②の「休んでOK」という考えに出会う機会が増えることを望んでいます)。

時間のスパンも様々だと思います。

次回もこの続きを書きたいと思います。


2016年5月8日