うつからのメッセージ-気づき

気づき

先日「百分で名著」の「歎異抄」最終回で、「回心(えしん)」ということを言っていました。

「回心」は、一生に一回の大転換で、自力(アタマ)を捨てて他力(ココロ)に任せる、自分(アタマ)が一旦死んで生まれ変わる、「(アタマで「生きている」のではなく)生かされている」と気づき、自然(じねん=ココロ)に身をゆだねる、ことです。

 

これと全く同じことが、うつからの回復の時に起こると思います(親鸞もおそらくうつのような苦悩を身をもって経験したからこそ、こんなことが言えるのだと思います)。

 

さて、「「元のように働けるようになりたい」と思っているけれども、なかなか体が言うことを聞いてくてくれない」状態。

 

そこから抜け出すには、どうしても「元のように」働く考えを捨てねばなりません。

 

多少なりとも泥沼を歩んで、このままではうまくゆかないと思い知った時、アタマとココロの対話がスタートします。

 

たいていの場合は、小さいけれども、過去一貫してココロの声が続いていたはずです。

その声は、言葉であったり、感情であったり、衝動のようなものだったりします。

その声が聞こえてくるのは、どんな時でしょうか。

その時周辺に体験していることにココロが反抗していたり、別のこと(別のやりかた)をしたいと言っていたりするのです。

 

なんの気なしにし続けていた「こと」や「やり方」を疑ってみるのもよい手です。

いつもとは逆にアタマの考えをココロがチェックする感じです。

 

そして、「気づき」が訪れます。

「ああ、こういうことだったのか!」というココロのつぶやきの正体が見えた瞬間です。

この瞬間にココロとアタマは対等になり、むしろアタマをココロがコントロールする趣になります。

 

この時こそ、「今までのやり方・生き方」の中で何が問題だったのかが明らかになります。

・仕事内容そのものより、組織や時間に制約されるやり方に本当は我慢ならなかった人

会社や仕事含めた内容そのものに本当は全く興味をもてなかった人

・そもそもやりたい仕事が本当は他にあった人

・あるいは、その仕事や現在に至る生き方が親など他人の敷いたレールなので自分のものでない生き方に嫌気がさしていた人

など様々です。

 

そんなことがはっきりと分かります。

今まで意識しなかったことが。

そんなことを見て見ぬふりをしていた自分が。

 

すると、今までのやり方・生き方にきちんと別れを告げることができるようになります。

 

会社に復職しても、もう自分のココロの関心(譲れるところや譲れないところ)を分かっているので、必要が無い所では無理をしない、やらざるを得ない時はココロに謝りながら仕事する(これだけで随分違います)。

余裕ができているので、周囲にしたたかに対処して、部署を代えてもらったり、うまく休みをとったりできるようになる。

 

あるいは、誰のものでもない自分の生き方を歩みはじめ、会社の位置づけそのものが相対的に自分の中で小さいものとなる。

すると、なにか会社に働かされている、というより、自分と会社はある時間や仕事に対する対価を得ている関係に過ぎない、というクールな視点を持てるようになる。

 

こうなると、もう「元のように」働いてはいないので、人生を楽しんで、働けるようになっています。

 

2016年5月14日