心理のよもやま話-心の構造

心の構造についての様々な仮説

 

フロイト以来、様々な人達が精神の構造を説明するために色々な仮説をたててきました。

 

ジークムント・フロイトは晩年、

「エス」という本能や衝動のエネルギー、「超自我」という親等から刷り込まれた道徳や自己規制、その二つのバランスを保って現実生活に良く適応するための「自我」を想定しました。

 

メラニー・クラインは、

精神病水準の構造を「妄想・分裂ポジション」とし、自分のネガティブ感情を外部に投げ出してその感情からあたかも自分が攻撃されているように感じる、いわゆる被害妄想のメカニズム等を説明したり、その投げ出したネガティブ感情を次第に自分の内部に取り込んで統合してゆく過程を「抑うつポジション」としています。

 

ドナルド・ウィニコットは、

「本当の自己」を良く活かしていくために、処世術を駆使する「偽りの自己」が発生してくるが、手段に過ぎない「偽りの自己」が目的化して「本当の自己」を無視すると精神的な病に至る、としています。

 

ハインツ・コフートは、

人間というものは独りで生きてゆけるものではなく、「鏡自己対象」という自分を褒めたり元気づけてくれる存在、「理想化自己対象」という自分の目標や憧れになる存在、そして「双子自己対象」という自分と同じ弱さや苦悩を持つ存在への共感、この3つが必要なのだと言います。

 

私個人としては、ウィニコットの見方が腑に落ちる、コフートの見方もなんとなく分かる、という気がしますし、クラインの見方を当てはめてるとうまく見立てができる病態があるということも理解はできます。

(しかし、ジャック・ラカンなどを読むと、数式がでてきたり、哲学的な隠喩があったりして、「なんじゃ、これは」と思ったりしますが・・・)

 

当然のことですが、心を説明できる唯一の見方は存在せず、多面にわたる心の構造のうちのひとつのそのまた「仮説」が上記です(但し、臨床経験を重ねたうえでの良質な仮説ではあると思いますが)。

 

ですから、べつに科学的な真実を求めているわけでもなし、クライアントの方の心がラクになり、かつ自立できればよいと思っていますから、使えるものはなんでも使うという感じで私はいますが、腑に落ちてくれないと生兵法になってしまうので難しいところです。

 

と、こんなことを書いておきながら、表面上の理論よりなにより、セラピスト自身の心がどっしりとして、かつ融通無礙であることが一番大事なのですが。

 

※それにしても、過去幾多の理論を生み出した精神科医・精神療法家の人生はそれぞれ面白いものです。近々いくつか書籍をご紹介したいと思います。


2016年6月18日