心理のよもやま話-行動療法だけ?

行動療法についてのはなし

  

とあるカウンセラーと話をしていましたら、その人いわく「私がうつの時病院で行動療法を勧められて、やってみたけれども、すごく無機質で学校の先生にフォローされている感じがして嫌だった、今でも行動療法と聞くと抵抗感を感じる」と言っていました。

 

世間では、認知行動療法という名前がよく知られていますが、広い意味での行動療法とは、人間が本来持っている認識や学習の能力を生かして、その人の現実の生活を改善してゆこうとするものです。

何かの不安とか生活パターン等について、そうなってしまった原因を追求することはせずに、認識や行動を変化させた結果得られる現実のメリット(あるいはデメリット減少)を本人が学習することで、実際の生活の中で自信をつけて、心理的にも安定してゆくことを目指します。

 

個人的には、「はまれば」かなり効果のある方法だと思います、即効性もあると思います。

但し、その「はまる」ためには、正確に言うと本人に「はまってもらう」ためには、なかなか微妙な所もあると思っています。

 

と言いますのも、私のように成人向けのカウンセリングをしていますと、いい歳をした大人に対し、単純に人参やアメのようなものをぶら下げて、一日何回それをやって下さい、それで失敗した/成功した回数を記録してください等と言っても、なかなか受け入れてもらえないだろうと思うからです。

それに、多くのクライアントは、多かれ少なかれ家庭環境や社会での管理的な体質に疲れており、そういう管理の匂いを感じるものに敏感になっているであろう、と思うからです。

 

一説にはプラシーボ効果(薬物そのものの効果以外の、本人の薬に込めた期待感とか薬を処方した医師との連帯感など)は薬物の純科学的な効果と同等くらいにある、ということですが、行動療法にも同じことが言えると思います。

 

ベースにあるのは、お互いの共感を元にしたある種の信頼関係だと思います。

まずそこを作らなくてはいけない。

その上で、管理ではなく、自分の力で実行可能な有効な方法だということを説明します。

 

その際、行動療法の方法を設定するのにも、その勘所は精神分析の技法によって本人の心理的パターンを把握しておくことにかかっていると思います。

 

そう考えてくると、私は認知行動療法が専門です、とか、私は精神分析です、とかの看板をかかげている人はどうも眉唾なのではないかと思います。

クライアントの役に立つなら、どんな技法でも使うのが人間を相手にする商売として当然ではないか、と。

 

行動療法だけだと人間的な味気がない、精神分析だけだと獏として掴みどころがない。

人間の心は本当に幅広く、奥深いものです。


2016年8月7日