「葛藤」というものは、うつをはじめとする精神的身体的苦しみの基本的メカニズムだと思います。
その人の内部において、何か(大抵は無意識下に刷り込まれたもの)に対して、別の何かが反発して抵抗しているので、苦しい状態になっています。
これを広い意味での葛藤と呼びます。
但し、その何か(A)も、反発している何か(B)も両方とも、意識で認識して検討や理解が可能なものでなく、いわば見えないわけです(正体不明の(A)と(B))。
でも本当は、何か(a)とその何かに反発している何か(b)は無意識の領域には存在している(正体が顕わな(a)と(b))。
従って、当の本人は、まず、自分の中で葛藤があるんだ、ということさえ分からない。
また、無意識の領域で葛藤があるんだということには思いも及ばない。
この辺りが、わけが分からず苦しんでしまうことの理由です。
例えばうつになったばかりの時、今までと同じように会社に行こうとしてもカラダが言うことを聞かず、自分でも変だな妙だなと思っている。
これは上記の(A)に「会社に行かなくては」と言われ、(B)に「もうそんなこと出来ないよ」と言われている状態です。
もちろん本人は(A)も(B)も区別はおろか、認識さえしていません。
ちなみに精神分析では、クライアントから(A)と(B)の話を聞きながら、(a)と(b)の正体を明らかにし(「見立て」がこれにあたります)、タイミングをみて(a)(つまり無意識に刷り込まれたり抑圧しているがために本人にとっての障壁となっているもの)が何をしているのかを伝えます(これを「解釈」といいます)。
また、「解釈」するのは専ら(a)の活動の方で、(b)(つまり本来の自己)に対しては直接指示したり、教えたりしません。
これは、クライアントの依存を防いで、自分の力で本来の自己を救い上げていくことに欠かせないもので、このことが自分でつかむからこそ生じる「あ、そうか!」体験に繫がるものだからでもあるのです。
2016年8月29日