生老病死について①

生老病死についての私的体験①

私事なのですが、五か月前の5月末頃から高齢になった両親の世話をしてきました。

 

私が実家に滞在する日数が長くなってきましたので、6月はじめには、カウンセリングの曜日を従来の週末から火曜〜木曜に変更したものの、その後すぐに両親が自立して生活できる状態でなくなった為私が実家に継続して滞在することになったので、カウンセリングのお問い合わせを頂いた方には、申し訳ないことにお断りのご連絡をしていました。

 

紆余曲折があったものの、現在、父は介護付き老人施設に居てひとまずは元気であり、母は入院中ですがほぼ回復しており、間もなく父の居る施設に入居の予定です。

 

長いスパンでみますと、2011年はじめからは、私が隔週で実家に行って、認知症の兆しが現れ始めた母の状態を確認したり、2013年はじめ以降には、足腰が弱ってきて食料などの買い物にいけなくなった父をサポートするため、毎週末私と兄とで交代で通い、一週間分の買い物、洗濯などをしていました。
そして先日、同居する私が心身の限界を感じた為、父母に老人施設に入ってもらうこととなりました。

 

この数年の間、父、母、兄、私の心や身体について、様々なことを感じてきました。
親と子、男と女、一人の人間、生きるということ、老いて死んでゆくということ、そんなことが日々色々な側面から垣間見えることがありました。

 

心理学、いえ、自分の生き方を考える際、生老病死は直面することを避けられないテーマだと思います。
生老病死というと、なにか「うつ」や「生きづらさ」に関係ない事柄に見えますが、自分や人の生き死にに向き合うことは、精神的苦悩から立ち直るための大きな手がかりであるように思います。


私も未だに自分のなかで整理ができていない状態なので、とりとめが無くなってしまうかもしれませんが、次回から私の体験を通してみた生老病死について書いてゆきたいと思います。

 

2016年10月20日