生老病死について②

生老病死についての私的体験②

 

私が子供だった1970年代くらいまでは、「ぽっくり逝った」という話を耳にする機会がときどきありました。

私は団地が何十棟も集まった地域に住んでいましたが、「あそこの部屋の◯◯さんは昨日まで元気に通勤していたのに、今朝になったら目を開けなかった」とか「毎日トラックで野菜を売りにきていたおじさんが家で突然ばったりと倒れて、それきりだったそうだ」などの話を大人がしているのをたまに耳にしました。

 

そういう話を聞きながら育っていたので、人というものはわりに突然死んでしまうものだな、というかなりあっさりとした死に対する印象を抱いていたものです

 

中学、高校の頃には祖父祖母が亡くなりましたが、彼等と同居していなかったせいもあるかもしれませんが、体調を崩してから、入院し、亡くなるまで数ヶ月。

健康体から死に至るまでは、比較的短期間なんだなと思ったことを今でも覚えています。

 

しかしながら、今回両親や周囲を見るにつけ、そういう認識は無くなりました。

現代では、実際には、多くの人は身体の機能が徐々に低下しながらも、致命的な病気をすることなく長く生きる、ということが現実の老いの姿です。

 

まずは、スーパーに行き食料を買い、持って帰ってくるだけの足腰や腕の筋力が無くなってきます。

そうなると誰かに食料や日用品を買ってきてもらわねばならない。

 

次には、ベッドから起き上がるのが難しくなる。起き上がろうともがいているうちに、我慢できなくなっておしっこを漏らしてしまう。

介護用の電動ベッドやおしっこ◯回吸収と謳ったリハビリパンツが必須となってきます。

 

そして、家のなかの数歩でさえ歩けない状態になってきます。

そうなると車椅子以外に移動する手段はありません。

バリアフリー仕様にしていても、車椅子からトイレへの移動には大きな危険が伴います。

老人が独りで暮らしている場合や夫婦でどちらか(どちらも)が認知症の場合、事故が起きても自ら助けの電話をかけることも難しいでしょう。

こうなると家族の誰かが同居するか、施設に入ってもらうかの選択を迫られます。

 

私の場合は、兄弟で買い物や洗濯を手伝うようになってから、両親が施設に入るまで4年弱でした。


この期間も手助けの形態も、もちろん人によって、様々かと思います。

そして、その期間や形態に大きな影響を与えるのが、人生を長く生きてきた人達の生き方そのものであり、手助けする側の生き方、でもあります。

 

今回は、生き方などの心の問題ににあまり踏み込めませんでしたが、次回は心についても触れたいと思います。


2016年10月29日