生老病死について③

生老病死についての私的体験③

父は、足腰のみならず、思考力や判断力が落ちるようになってから、タバコを頻繁に吸うようになり、コーヒーもひっきりなしに飲むようになりました。

私がキッチンで料理を作っていようと洗い物をしていようと、「もうガマンできない」と言って換気扇の下でタバコを吸います。

それは、なにかの中毒患者を思い起こさせるものでした。

 

彼は、思考力があった頃は、一日中テレビをみていましたが、あれを買ってこい、草取りはもっと丁寧に、など指示をだし、細かいことに気がつきました。

タバコも一日5〜6本といったところでした。

 

しかし、思考力が弱って、そういう指示もだせなくなると、まずタバコやコーヒーへの依存。

また、病院に通うようになってからは、医師の肩書きを気にして、その科の部長クラスを希望するようになり、自分はこういう偉い人にみてもらっているんだ、と言って、治療内容そのものよりも医師の権威や評判を気にするようになりました。

 

そんなことをここ数日思い起こしていましたが、それは二つのニュースが連想させたものです。

 

ひとつは、電通の新入社員の自死の事件。

自死された方やご家族は本当にお気の毒に思います。

私が気になったのは事件の報道のし方です。

会社の責任を問うということを当然のように報道するのですが、そこには新入社員サイドの視点が抜け落ちています。

他にも大勢いるであろう新入社員の視点にたてば、自分の身は自分で守る必要がある、その為にはためらわずに周囲に相談し、躊躇することなく会社を休んでいい、ということを報道の場で言う必要があります。

会社のみを問題にしていたのでは、新入社員の皆さんは、これからも会社の都合次第で働き方を左右されることになりかねません。

会社はこうだけど、私はこうだ、というスタンスを持つ必要があります。

会社だけが主語を持って語るのでなく、自分も会社と対等の主語となって語り行動するのです。

 

もうひとつは、津波に巻き込まれた大川小学校の裁判の件。

この事件では、組織や体面や責任問題を気にする教師の判断の遅れや行動の誤りに巻き込まれ、多くの子供が生命を落としました。

電通の件の報道と同じく、そこには自分を主語とした思考や行動がないように見えます。

学校の方針がこうだからこうしなくちゃいけない、とか、責任をとらされるのはゴメンだ、というように学校に教師としての自分の生き方の責任=生き方の主語を預けてしまっていたのでしょう。

 

それで、何故この二つから父のことを連想したかというと、父の生き方は本当に自らを主語としているのだろうかと思ったからです。

 

際限ないタバコやコーヒーの喫飲は、依存症に見えます。

依存症とは、代理満足です。

真の自己満足=自己愛ではない。

つまり、自分を主語として日々を生きていないので、喫煙や食べ物などの物質、権威のある人、に自らの主語を預けてしまう。

しかし所詮は、代理、つまり間に合わせに過ぎないので、いくら吸おうと飲もうと本質的な満足=自己愛に至らないのです、だから依存する物質の量だけが増えていくのです。

 

心理学者のコフートは、そういう依存できる自己対象(自分のお手本になる人物(父の場合は地位が高い医師がそれに近い)や自分を優しく包んで励ましてくれる存在)が生きていくには必要だと言いましたが、100%そういう対象に頼ったのでは、自己というものが空洞化してしまいます。

 

もう80を過ぎた人間についてこういうことを考えなくてよさそうなものと思われるかもしれません。

しかしながら、よくよく思い出せば、そういえば父は若いころから、物質的なもの(若いころは飛行機などの模型、歳をとってからは自宅の家の手入れ)に熱中することで満足を得ていました。

また、子供の教育も、自分が大学を出ていないことで苦労した記憶があるためか、いい大学をでていい会社に入れ、会社では上司や周りから可愛がられるようにしろ、と言って私も育てられました。

父には、人生での処世術とはいえ、学歴や地位への盲信、まさに依存があったように思います。

そんなことを思うと、今の父はやはり今までの生き方の延長線にあるように思えます。

 

嗜好の対象としての物質、自分に満足を与えてくれる人間、あるいは自分を感動させる音楽や芸術、なんであれ、自分のうちから湧いて出てくるものをそこに見出してこそ、自分が主語という生き方になるのです。

要は、自分の内面が主役だということです。

 

自分が主人公だと、生き方の満足感は飛躍的に、質的な向上をみます、それは80を過ぎた人間でも同じだと思えますし、高齢になったからこそ、そのことが浮き彫りになってくるようにも思えます。

父のことを見ていたら、そんなことをつらつら思い起こしました。


2016年11月10日