生老病死について④

生老病死についての私的体験④

今日は、前回書きました「自分を主語とする生き方」に関連するエピソードを書いてみます。

 

身体と心のダイナミックなつながりをオリジナルかつ実践的な方法で探求し、現在も一線で活躍している心理研究家にアーノルド・ミンデルという人がいます。

彼の初期の著作に「昏睡状態の人と対話する/NHKブックス」(現在は絶版。Amazonの中古では高価ですが売られています)という、一見通常の対話ができない人とでも、身体の反応をキーとして、その人の心の深い部分へのアプローチを試みた実際の記録があります。

単純に読み物としても、非常に面白い本です。

 

その本のなかのエピソードです。

入院中で80歳を過ぎており、ほとんど会話が成立しない黒人男性が登場するのですが、ミンデルは彼の呼吸に自分の呼吸のペースを合わせることから始め、その男性は徐々に声を発しだし、ついに彼は「バハマ」という言葉を口にします。

ミンデルは彼とバハマについて対話します。

すると、彼は最後意を決したように「バハマ行きの客船に乗ろうー」とはっきりと口にし、その数時間後に息を引き取ります。

 

どうやら「バハマ」は、その男性が長年行きたいと思っていながらも、おそらくは経済的な事情等で行くことを果たせなかった所です。

しかしここで、それ以上に大事なのは、人生の最終局面までバハマに行きたいという希望を捨てきれなかったこと、そして最期、自分の精神上の内的な動きにせよ、自らの(心の)足でバハマ行きの客船へ乗ろうと一歩踏み出した、ということです。そしてその直後に安らかに死を迎える。

言い換えると、バハマ行きの船に乗る決意を固めるまでは、彼は「死にきれなかった」のではないかと思われるのです。

ここに私は「自分が主語」という生き方を見た思いがします。

 

私の心理カウンセリングの先生だった泉谷閑示氏が書いた「普通がいいという病」はこのHPでも以前紹介したことがありますが、その本のなかでも似た発想が書かれています。

 

不眠の時には、寝る前に少しの時間でもその人らしい過ごし方をするのがよい、と泉谷氏は言っていますが、

それは、毎晩眠ることは毎晩死ぬということ、なので、その日その日自分なりの生き方を生きたという実感が乏しければ、死ぬに死ねない、つまり眠れない、ということだというのです。

上述の黒人男性も、バハマへの旅に歩み出すことで、本来の自分を取り戻して、人生の不眠から抜け、人生の深い眠りに着くことができたのでしょう。

 

人生の最期何日間でも質の高い(自分らしい)生き方をすれば、思い残すことなく人生の幕を自ら閉じることができる。

まして、年を取る前にでも一日一日を自分なり(=自分が主語)の生き方で生きれば、よく眠れて身体的にも健康になり、心も自分本来の生気で満たされ、その生き方の末には比較的穏やかな眠り=死を自ら迎えることができるだろうと思っています。

父のことを見るにつけ、自分を省みるにつけ、そんなことを考えていました。

 

2016年11月20日