生老病死についての私的体験⑨
人間と言いますか、人生というものは正直なもので、老境に至ると、それまでの生き方が抗いようもなく表面にでてくるということを私は実感しました。
現在は、父と母は同じ老人ホームの隣同士の部屋で生活しているのですが、
父は、未だに壮年期での物質偏重、権威への追従という価値観のなかで生きています。
お菓子を貪るように食べて満腹になってしまい、食事ができなくなったりしたこともあります。
一方、母は認知症の状態が顕著になってきたものの、ホームのスタッフへ折りに触れて「ありがとう」と声をかけて、スタッフとの間に和やかな関係を築きつつあります。
彼女の本来の長所が自然と出てきているように見えます。
父と母の違いはどこから来るのでしょうか。
このコラムで私がたびたび使ってきた言葉で言えば、父はいまだアタマだけで生きている、一方母はココロ主体で生きている、と言えると思います。
なぜそのことが老境において表面化するかというと、身体が動かなくなってきたからです。
父の場合、これまでの日常生活のレベルにおいては身体をコントロールしていたのはアタマです。
しかし、老化して足腰が弱くなったり記憶力が低下すると、アタマから司令をだしても身体は動かない。
ほとんど動かないのに、なんとか動く部分、父の場合で言えば口や内臓、を使ってお菓子をたくさん食べたり、煙草を頻繁に吸ったりして、アタマを満足させている。
しかしながら、老境において心地よく生きるためには、アタマによるコントロールを徐々に手放して、ココロ主体での、自分の感情への素直さ、周囲への感謝や慈悲、自然への回帰といった価値観への移行が必要なように思います。
実際、多くの人間の手を借りて暮らしていくのですから、自らの身を委ねるといった大らかな気持ちが肝心なのです。
また自分の気持ちを察してもらうためにも、感情を押し殺さずに素直に表にだすことも大切でしょう。
青年・壮年期の人生では、誰の手を借りる必要もないので、日々の日常生活のレベルでアタマと身体を駆使していればとりあえず問題なかったのですが、身体が動かなくなった老年期の人生では、日常生活でなくいわば「人生生活」のレベルにステージを移し、ココロを駆使して、個人的な身体的・物質的な満足に依らない、周りの人間と共有可能な精神的な充足に居ることが大事と思います。
父はサラリーマンをしていた頃は会社を休むことはほとんどなく、休みの日は夕食を作ったりして、良き父親のようにみえました。
一方、母は一時期精神的に不安定になったりして、家族に心配をかけ、子供の頃の私は母を邪魔だと思ったりしたものでした。
しかし、人間の内面というものは、本当には本人にしか分からない(いえ、本人でさえ何十年も分からないことがほとんどですが)もので、月日を経た現在、安定した日々を送っているのは母の方です。
母は特別何かの精神的な研鑽をしたことはありません。
はっきり言いまして、本も読まない無学といってもいいくらいの人でした。
やはり母は、団地という日本本来のコミュニティが息づいた環境で子育てをすることで、自らのココロを育てていったように私には思えます。
その過程で、それこそ本人が知らないうちにアタマよりココロ主体の生き方を養っていったのでしょう。
ですが、父もこれからどうなるか分かりません。
いまや苦しみの元となったアタマというものに諦めをつけ、自ら進んでココロをひらいて、穏やかな心境=父が好きだったアルプスの山などに象徴される自然への回帰、に至るかもしれません。
そうなることを私は願っています。
そうならなければ、死という、ココロとつながったプロセスにスムーズに入っていけず、死を受容できずにそこでまた苦しむことになるだろうからです。
しかし、それは精神の最も内奥のプロセスなので、他人がとやかく言うことはできません。
死の前の一瞬にして、ココロをひらいて死を受容することもあるかもしれないのです。
人間には本来そのような力があると信じています。
*「生老病死についての私的体験」は今回でひとまず区切りをつけます。思い出したらまた何か書くかもしれません。
2017年1月8日