生老病死について⑧

生老病死についての私的体験⑧

人間誰しも、その人の生き方を支える根幹の部分を持っています。

要は「自信」いわれるものです。

一口に自信といっても、その範囲はとても広く、純粋に身体的な筋力の強さや記憶力の良さなどから環境適応への柔軟さや情緒・共感能力の細やかさ等の心の領域まで、いくらでも挙げることができます。

日々色々な経験を蓄積し、それらの要素を自分の記憶の中で味わい整理しながら、より心地よく生きるためにそれらを活用しています。

 

入院中の母のサポートのために私がしたことは、母の根幹を為す部分、つまり対人能力における優しさ、を活性化することでした。

母は引っ込み思案ながら、もともと人と話してよく笑ったりする人で、そんな時の母は周囲の人にも柔らかな雰囲気を提供し、心身共にしっかりしていた印象があります。

 

そんな母のパーソナリティは、おそらく二人の子供を育てた団地住まいの時に養われたものだと思います。

母や私等が暮らした団地は棟が50以上もある大きな団地群で年中子供の声が響きわたっていて賑やかなものでした。

鍵をかけることはあまりなく、夏場などはドアを開けっ放しのところが多かったですし、近所の遊び友達の家で子供が夕飯を食べさせてもらう(その家のお母さんは「お宅の◯◯ちゃん、私んとこでご飯食べさせておくからね」などと電話します)こともよくありました。

ですので、母は近所の奥さんともいつも井戸端会議で話しこんでいましたし、また子供の誕生日会や持ち回りで読書会を企画したりして、近所の子供ともよく話をして可愛がっていました。

 

病院の母のベッドで、私は来るスタッフの誰かれかまわず、「団地の近所の人だよ」とか「ひろちゃん(私です)の同級生だよ」と紹介しました。

知らない所ではなく、なつかしい親しい人ばかりの所にいるんだという感覚を内的に思い出してもらおうとしたのでした。

また、私の意図を理解してもらったスタッフも、気さくな雰囲気で母に接するようになりました。

 

最初は硬かった母の表情も一週間ほどすると柔らかくなり、自力で食事ができるようになりました。

また、さらに良いことには、世話をしてもらったスタッフに対して「ありがとう」や「お世話になります」の言葉が出始めたことです。

こうなると、言ってもらったスタッフも笑顔になり言葉を返しますし、すると母にも笑顔ででてきます。

本当になんとなくですが、母の良い部分=自信がでてきたのです。

 

もうひとつだけ気づいたのですが、母は自分の名前を旧姓で記憶しているようでした。

母の年代の女性にとって専業主婦で生活するということは、ある意味仮りそめの(つまり夫の姓での)生活という面もあるのかもしれません。

老境になり、本当の自分に必要な部分以外は忘れ去ろうとしているのでしょうか

 

私はスタッフに姓でなく下の名前で呼ぶようにお願いしました。

その方が母の反応が断然良いのです。

母は団地時代でも友達を姓で呼んでいたようですが、逆に下の名前で呼ばれることには特別な重みがあるのかもしれません。

 

母が入院していた約一ヶ月の間、私は自分の無理のない範囲で、母と1時間ほど昼食を共にしながら、「団地の雰囲気づくり」に専念しました。

退院間際の数日には、母はほんの少し手を貸すだけで歩けるようになっていました。


2016年12月29日