参考になる本など(10)‐「アップデートする仏教」

「アップデートする仏教」/藤田一照・山下良道/幻冬舎新書

今日は「ココロを大切にして働く」をお休みにして、久しぶりに書籍のご紹介をしたいと思います。

「アップデートする仏教」(藤田一照・山下良道著)は、悟りとは何なのか、というテーマについて、従来の日本の仏教からのものとは一線を画す、実践的な視点で行われた対談を収録したものです。

 

前置きとしまして、個人的な考えですが、そもそも私は、お釈迦様こと「ブッダ」(覚者)になる前のゴーダマ・シッダルタは、現代でいううつ病だったと考えています。

シッダルタがうつから立ち直った方法を弟子たちが書き残したものが経典となって残っているのだと思います。

そんな風に考えると仏教が我々の生活の中に具体的に立ち上がってくるように思います。

そういう視点を持って、私はこの本を読みました。

 

印象に残った内容としては、

 

・「青空」と「雲」に喩えて、「気づき」の主体=「悟り」の主体は、青空なんだと山下氏は言っています。

「雲」を人間の日常の思考=thinking mindとし、「瞑想の師に指導された通りにやれば精神の自由が得られる」とか「◯年間修行したんだから悟りに至って当然だ」などの、因果論的・ロジカルな思考=シンキングマインドを使って、いくら坐禅を組み瞑想しようと、気づきには至らない。

そうでなはく、「青空」という雲とは別の主体を使わなければ、気づきに至ることができないと。

そして、人間にはそういう2つの主体が存在するということに思いが至るまで、10年以上の歳月を費やしたとも山下氏は言っています。

 

この下りを読んで、私は、これは雲=アタマ、青空=ココロ、ということだなと得心しました。

アタマとココロは全くの別物であり、アタマの声は大きくハッキリしているが短絡的かつ底が浅い、ココロの声はか細くてたまにしか聞こえないが、自らの根幹を知り大きな方向を示している。

このことは心理の世界の真実でありますが、仏教にもそのようなことが2千年以上前に指し示されていたことに、私は改めて驚きますし、人間の仕組みは変っていないんだということに何か安心もしました

 

・対談の2人は、現代日本の仏教の現状を病院に喩えて、「病院という建物はあるが、中に入ってみれば医者はおらず、来た患者はただお茶を飲んでいるだけ」と言っています。

要は、我々の身近にある仏教といえば、葬式や法事のセレモニー業者としての職業僧侶がいるだけで、現代社会に多数存在する精神的な救済を求めている人に対して、なんら有効な方法を仏教に携わる者が持っていない、ということです。

藤田氏と山下氏は、こういう問題意識を持って、おそらくは身体や精神の病に苦しみ藁にもすがる思いで彼らの門を叩いた人に坐禅や瞑想を日々指導しています。

 

この部分については、私が思うに、

現在は、うつをはじめとする精神的な苦しみを抱えた時に、一般的な人が思い付くのは心療内科あたりではないか。

「会社に行こうと思っても身体がいうことをきいてくれない、どうもおかしいからお寺の和尚さんに話をきいてもらいに行こう」と思う人はあまりいないでしょう。

それくらい、私も含めて仏教への実効的な信頼性は期待されていないといえます

 

しかしながら、大多数の心療内科医は薬は処方できても、ココロの問題に正面から取り組める人はごく少ない。

一方、藤田氏や山下氏のような、質の高い精神的な導きが出来て、かつそれを今の社会に何らかの仏教的な形をとって普及させようと努力している人達がいる。

(また、私のような開業心理カウンセラーもいる。)

 

個人的には、周囲への親切とか、先祖への感謝とか、自然への回帰、とかいった現代日本に生きる我々がいまなお有している得難い精神的な美点は、古来からの仏教あるいは仏教と融合した土着の日本文化に根っこを持っていると思います。

 

そのような意味で、こういう無意識に根付いている日常文化的な「信」の仏教から入り、「青空」主体で気づきを得る「覚」の仏教といういわば治療的な受け皿も用意されている、という二重の仕組みが広がれば、これは日本人にとってかなり有効な精神的拠りどころとなると思います。

この仕組みに、医師やカウンセラーが自覚的に繋がっていけば、効果的なメンタルケアが可能だと思います。

 

・山下氏が修行したミャンマーでは、悟りを得るために瞑想の修行を志す者には自国人・外国人問わず、衣食住が無償で提供される社会的な支援が行き渡っているようです

つまり、おおまかに言ってしまえば、上記で私が書いたような仕組み、つまり社会の人達が仏教全般に「信」を置いていて色んな支援をする、そしてそういう人達もいつか寺に入り「覚」の仏教で自分の内面を見直す、そしていつかまたその恩返しとして「信」をいろんな形で世の中に還元する、といったような仕組みがミャンマーでは息づいているということです。

おそらく、こういう社会では精神的な病をもつ人は非常に少ないと思われます

 

同じ内容の繰り返しの対話も多く、図書館で借りて読めば充分かと思いますが、テーマとしては非常に質の高い事柄を取り上げた書籍だと思いました。

私自身にとっても、社会やカウンセラーの方向性・可能性を感じ考えさせるものでした


2017年1月30日