ココロを大切にして働く④

好きな時期に好きな人と

前回に続き、人間の具体的生き方(①‐1)を5W1Hでみていきます。

 

・with Who (誰と?)

 

誰と共に生きてゆくのか、これも明らかに仕事よりも価値が優先される事柄です。

 

最たるものに結婚があります。

結婚と言うと一昔前なら、女性は「寿退社」とか、男性なら40過ぎて結婚していないと、身体に問題でもあるのかと聞かれたりすることがありました。

現在でも「人並みに」そこそこの年齢で結婚「しなければいけない」と思っていて、しかしそういう年齢になってきても結婚相手が見つからず「焦って」いる男女はいると思います。

 

こんな思考も、以前書きました、いい大学→一流企業で幸せが約束される、保険や医療に任せれば健康でいられる、と同質の「人任せ」思考です。

 

人それぞれ全く違う性質を持っているのに、決められた年齢までに結婚すべきだ、というのは農耕で労働力を確保するために多産が必要だった社会の名残に過ぎません。

いわば仕事や社会の要請で、結婚が規定されていたのです。

仕事から派生した思考というと、「いい大学→一流企業」も同様ですが、そこにはなにか個人を型に嵌めて、コントロールしようという窮屈さがあります。

そして、そんな旧来社会の掟が高度成長期には「そういうものなんだ」「みんなそうしているんだ」という周囲や世間を絶えず気にする人任せ思考として表面だけ形を替え、今でも学歴や就活等として生き続けています。

 

しかし、それは単に自分の人生を実は実体のない他の何かに預けているだけ、かなり不自然で人間本性に反しています。

 

人間、好きな時期に、好きな人(相手が男女問わず)と、好きなスタイル(同居/別居/通い他)で共に暮らせばよいのです。

 

焦る必要はありません。

焦るということは、何歳までに結婚しないと恥ずかしい等の吹き込まれた「人任せ思考」に未だに頼っているのです。


勇気をもってそれを捨てることです。

何よりも焦っている人は、自分なりの感性を閉じてしまっている状態ですから、本当に自分に合う相手を見つけられない。悪循環なのです。

 

結婚という社会が規定したスタイルにとらわれる必要もありません。

お互いに自立した人間同士であれば、尊敬し合いながらも、困った時は助けあってゆくパートナーとして、自分達なりの暮らし方を作り上げてゆけるでしょう。

 

人だけでなく、文化や気候等含めた風土が自分に合っているなら、その土地の人達のなかで、暮らしてゆくのがいいでしょう。

 

そう考えてくると、無理に結婚しなくていい。

結婚してマイホームを購入してローンを払うために、会社に居続けなくてもいい。

会社を辞めないまでも、頑張って昇進して給料を増やさなくてもいい。

自分の生き方に必要なお金が減り、従って仕事の比重が下がり、人生が楽になってきます。

 

今の給料ではパートナーを養えない?

せめて自分の分くらいの食いぶちは得られる人と一緒になればよいのです。

自分の生き方を本気で守りたいなら、きちんとそういう人を選ぶのです。

それは、①‐1の中身(自分の生き方・パートナーの生き方)を万遍なく考えること、

またそのことと①‐2お金とのバランスをとる、ということです。

そして、その為の「手段」として仕事を選ぶ。

 

誰かと共に暮らすということは、お金とのバランス抜きには、パートナーの収入はもちろん、住む地域・家賃・子供をどうするか等、考えることはできません。

計算機片手に数字で生活を作っていかねばなりません、こういう時こそアタマを働かせるのです。

一方、何歳までに結婚しなければ、などの陳腐なフレーズにアタマを悩ませる必要はないのです。


2017年2月15日