今ここに生きるとはどういうことか
今日はwhen、いつ生きるのか、についてです。
多少なりとも心理の世界に接したことがある方なら、過去や未来よりも「今ここ」を大事にしなさい、といった「今ここ」論を書籍などで読んだことがあると思います。
たしかに、前回まで考えてきた5W1Hは、過去や未来への思考が足枷となっているように思います。
保険・医療は、不確定な未来への心配。
きちんと就職をしないと恥ずかしい、あるいは結婚して一軒の家を構えてはじめて人並みといった過去に刷り込まれた思考、そこから生じる未来への不安。
そういう過去における囚われや未来への心配・不安の原因のひとつは、「これをやっておけば後が楽だろう」とか「これに従っておけば間違いないだろう」という思考停止があると私は考えています。
アタマは過去の「記憶」や未来への「計画」が得意ですから、それらを「情報」「知識」という何か賢い、人生にプラスに働くものとして蓄積していきますが、実はそれらは足枷になっている。
何故足枷なのかというと、そんな思考は、言ってみれば「寄らば大樹のかげ」「長いものには巻かれろ」という趣で、やはり自分以外の外部のものに頼りきったものだからです。
つまり、「借り物」なのです。
そしてある日、借り物が自分の生き方を決定していることに、本当の自分から抗議のサインが出て、心身が辛くなってくる。
この状態に切り込むキーが、「今ここ」です。
今ここと言われると、なにか瞬間瞬間に感じる喜びや楽しさだというように感じます。
たしかに、そういう側面もあると思います。
日々の喜怒哀楽は、人生の本質の大切な要素のひとつです。
しかし、もうひとつ大事な「今ここ」があります。
自分の「生き方の今ここに常に向き合う」ということです。
つまり、生き方を日々アップデートするということです。
そもそも、人間は、自分の内部で・環境に応じて、肉体的には老いてゆき、精神的には日々変化してゆく存在です。
一年前と今では、ココロの持ちようがけっこう違う。
病気を経験したりすると、心境が劇的に変化したりする。
一方、「借り物」はたいていの場合、過去に仕入れた状態のまま変化しないので、変化する自分というフレッシュさに合わない古臭い陳腐なものになってきてしまう。
自分の今ここに向き合うことは、慣れない人にはつらいことでもあります。
なぜかというと、生き方をアップデートすることは、自分自身にたった独りで向き合って、日々ココロの声に耳を傾けなければならないからであり、
「〜しておけば後がラク・間違いない」という未来を一見保証されたような思考が借り物で、自分の思い通りには使えなくて、ほとんど役にたたないことを思い知らされ、それどころか自分を苦しめていたことに直面せざるを得ないからです。
それは、過去の自分との訣別という痛みを伴う作業です。
自分の感覚=ココロに素直に従って感じていくと、今の自分が異物感を感じている知識・思考がだんだん浮かび上がってきます。
知識や思考を身に付け、うまく人生をやってきたつもりが、ある日うつになったりして、セラピーなどを通し自己内の対話をすると、実はココロを無視した借り物の思考がうつの原因だったと気付く場合も多いのです。
心理療法でいう「気づき」の瞬間でもあります。
自分をなにかに固定しないで、折にふれて自らの生き方を感じ、考えることが必要ではないでしょうか。
2017年3月16日