まとめ編その4‐ココロ=私が主体の生き方
<D:ココロ=私が主体(人間本来の姿)>
人生
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「私が〜」の生き方 ≒ しごと・遊び
(ココロ) (アタマ)
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お金
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仕事
アタマがココロを認め、受け入れた状態です。
アタマとココロは、臨機応変に融通し合う関係ですから「≒」で示しています。
・かっこ書きでない、「私が〜」が自分の生き方の「主語」と成ります。
生き方の主語は、アタマでなく、ココロ(私)です。
・会社等なにかに「仕えて」お金を得る労働を「仕事」と定義すると、それとは質の違うココロの意向、つまり「私」がやりたい「私事(しごと)」、
あるいは、自分の感性、自然な感性に適った仕事「自事(しごと)」が創られていきます。
ココロの大方針に従い、アタマは知識を仕入れ、計画し、着実に実行していくといった感じです。
これを「しごと」とよびたいと思います。
・また「遊び」ができるようになります。
学問、芸術、スポーツ、料理などです。
学歴ではなく、学問がここに入ります。それは単なる就職への切符ではなく、生き方と結びついた深い観想や思索、楽しみです。
芸術も生き方の表現です。
それは、なにがしかの入場料を払って、たまに見たり聞いたりするものではなく、自らの内面(ココロ)に照らしあわせて、内面を養い、磨いてゆくような、自分の生き方と深く結びついた活動です。
・以前少し触れましたが、「しごと」を最初無味乾燥だった仕事のなかに自分で創りだした方もいましょう。
仕事を離れて、いちから自分だけの「しごと」を創りだした方もいましょう。
その過程では、それなりにお金に苦労し、お金と自分の生き方のバランスに苦慮したはずです。
しかし、お金という要素よりも「しごと」が上位にあるはずです。
お金に代えられない自分の生き方の反映としての「しごと」を持っているはずです。
・もっと現実に即して言うと、ココロの表現として「しごと」を軸にしながらも、「遊び」の要素もそこに入ってくる、お金もしたたかにそこに組み込んでアタマをしっかり駆使している。
時には、自分が我慢できる範囲で生計のために「仕事」を受けたりもする。
そんなことが、あまり区別されることなく、自分のなかで臨機応変に構成されいるのが実態でしょう。
ここには、他の誰でもない、自分なりの人生を生きる張り合いを伴った楽しみ、幸せがあります。
このようなスタイルで生きる限り、(ココロが主体でない生き方の)うつ病等にはなりようがありません。
しかし、実際の、具体的な、その人に合った生き方はひとりひとり全く違うので、誰もそれを教えてくれません、教えようがないのです(もちろん、サポートは出来ます)。
人生を生きる当の本人自身が勇気を持って、ここに飛び込むほかないのです。
ココロを大切にして働くとは、こういうことだと私は考えています。
2017年4月14日