ココロを大切にして働く⑬

番外編その1‐親(養育者)のポジション

 

前回まで書いてきましたいくつかの体系はそのまま親(養育者)のポジションにも応用できるかもしれません。

仮説に過ぎませんが、概観してみます。

 

<自己の分裂>

 

人生=

|(アタマ)

生き方

(ココロ)

 

・例えば、親(養育者)が自分の満たされなかった願望を子供に対して「あなたのためを思って言ってるのよ」等のかたちで、無意識に押し付けると、子供本来のパーソナリティが封じられてしまいます。

あるいは、何かの事情で育児放棄的な状態になってしまい、子供が保護を必要としている時に親が傍にいないと、自分が悪いことをしたので親はどこかに行ってしまったと子供は思い込み、必要以上に他人の目を気にするようになって、自分にも他人にも信頼感を持てなくなる可能性があります。

 

・このような状況が0〜3才、一説には10代半ばまで続くと、パーソナリティが成熟しきらない精神状態の一因になるとも言われます。

幼児や子供にとって、たださえ親は(養育者)は、絶対的な、いわば自分よりも上位の存在です。

そんな時期に上記のような条件に置かれると、「自分」という生き方の「主語」が封殺されてしまい、自分がココロとアタマ(親)で分裂してしまいます。

 

<たいがいの子供、そして大人まで(?)>

 

人生

|____

|    |      

生き方  親≒養育・しつけ・教育

(ココロ)(アタマ)

 

・乳幼児期は生命を守るために、少年期は教育やしつけのために、ある程度子供のアタマの代わりとなって親があれこれを手を焼くのは、人間という生き物である以上やむを得ないでしょう。

 

・但し、少年・青年期以降もこのままの状態、つまりアタマ(親)がココロ(子供の個性)に対して優位なままだと、ココロを核にした自分というものが育たず、いわゆる子離れ・親離れが出来ない状態になります。

今まで書いてきたように、それが「会社離れ」出来ない、仕事に距離を置けないことにも繫がる可能性があります。

 

<徐々に親のポジションを下げる>

 

人生

|_________

|         |

生き方(私が〜)    養育(心身の養教育)≒親

(ココロ)     |          ↓

          しごと(「後姿」を見せる)≒親              

          |             ↓

          学歴等(処世術)≒親

          (アタマ) ↓

 

・親は、徐々に体系での位置を下げてゆくことが必要です。

 子供の体系に、最終的には入り込まないことです。

 

・小さい頃は心身の滋養につとめます。

 

・少年期から親元を離れるまで、親自身がアタマとココロの融通状態で、生き方を楽しんでいる「後ろ姿を見せる」ことが理想です。

決して「教えない」ことが大切です。

教える行為には、アタマが介在します。

親というアタマは子供にとって声・存在が大きいので、その声を控えめにしないと自分という主語(私が〜)=自分のココロが育たないのです。

それが親としての「しごと」だと私は思います。

 

・高校生くらいになったら、学歴は通行手形のようなもので処世術に過ぎないこと(それでも今の社会では一定の意味のある切符かもしれませんが)、自分が楽しめるようなことをあせらず時間をかけて見つけなさいと言うことです。

そして、それは親と子供で違う、つまり全くの別の人生を歩む人間同士の営みなんだということを言います。

 

つまり「「私」という主語の自立」を促すのです。

やりたいことと仕事がはじめから一致することは、まずないこと、しかしどちらかに安易に偏らない、自分の生き方と仕事を絶えず揺れ動く生活の中で強靭さが培われ、そのうち生き方が仕事に滲み出たり、遊びのような天職(しごと)の境地にもなること、を言っておきます。

 

<人間として自立>

 

人生

 |__________ 

 |          |

「私が〜」の生き方 ≒ しごと・遊び

(ココロ)      (アタマ)

 |__________|

            |

            お金

            |     

            仕事

 

・この図は、そのままです、親はどこにも入っていません。

子供がこの状態になることを望み、意識的に日々接してゆくのが親のつとめかと思います。

 

*ちょうど、今読んでいる本のなかに親の姿勢についての記述がありました。面白いので引用します。

 

「自分のお腹を痛めて産んだ子供に、おっぱいを飲ませて育てる。その子がだんだん大きくなっていくと、いままでお母さんの言うことを聞いていたのに、徐々に聞かなくなって、そのうち振り向きもしなくなります。でも、その前からサインは来ている。「ここからこれ以上は放っておいてほしい」「ひとりでひとつの人格として育っていくんだから」というメッセージを、ぼくは母親にしっかりと聞く耳を持ってほしいなあと思う。そうでないと母を喜ばせるために人生を送ってしまう人の数が増えてしまうんじゃないかと心配なんです。

ぼくは、どの人の人生も誰かを喜ばせるために生きていいとは思えないんですよ。その人が思いきり自身の充実感を感じられる人生ほど、満ち足りたものはないと思うんです。そういう人生を送ってもらったほうがいいから、誰かを喜ばせるために、誰かの期待に応えるために人生を歩む子供に育ってほしくないなあ、と思う。これは実際には、母親だけでなく、父親にも同じことが言えるんですけど。」

(『楽園瞑想』宮迫千鶴・吉福伸逸著 310ページ)


2017年4月21日