番外編その1‐親(養育者)のポジション
前回まで書いてきましたいくつかの体系はそのまま親(養育者)
仮説に過ぎませんが、概観してみます。
<自己の分裂>
人生=親
|(アタマ)
生き方
(ココロ)
・例えば、親(養育者)
あるいは、何かの事情で育児放棄的な状態になってしまい、
・このような状況が0〜3才、一説には10代半ばまで続くと、
幼児や子供にとって、たださえ親は(養育者)は、絶対的な、
そんな時期に上記のような条件に置かれると、「自分」
<たいがいの子供、そして大人まで(?)>
人生
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生き方 親≒養育・しつけ・教育
(ココロ)(アタマ)
・乳幼児期は生命を守るために、少年期は教育やしつけのために、
・但し、少年・青年期以降もこのままの状態、つまりアタマ(親)
今まで書いてきたように、それが「会社離れ」出来ない、
<徐々に親のポジションを下げる>
人生
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生き方(私が〜) 養育(心身の養教育)≒親
(ココロ) | ↓
しごと(「後姿」を見せる)≒親
| ↓
学歴等(処世術)≒親
(アタマ) ↓
・親は、徐々に体系での位置を下げてゆくことが必要です。
子供の体系に、最終的には入り込まないことです。
・小さい頃は心身の滋養につとめます。
・少年期から親元を離れるまで、
決して「教えない」ことが大切です。
教える行為には、アタマが介在します。
親というアタマは子供にとって声・存在が大きいので、その声を控えめにしないと
それが親としての「しごと」だと私は思います。
・高校生くらいになったら、学歴は通行手形のようなもので処世術に過ぎないこと(
そして、それは親と子供で違う、
つまり「「私」という主語の自立」を促すのです。
やりたいことと仕事がはじめから一致することは、まずないこと、
<人間として自立>
人生
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「私が〜」の生き方 ≒ しごと・遊び
(ココロ) (アタマ)
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お金
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仕事
・この図は、そのままです、親はどこにも入っていません。
子供がこの状態になることを望み、
*ちょうど、
「自分のお腹を痛めて産んだ子供に、おっぱいを飲ませて育てる。
ぼくは、
(『楽園瞑想』宮迫千鶴・吉福伸逸著 310ページ)
2017年4月21日