人生が夏休み(前)
昔、心理に何の関心もなかった頃、私は、夫がうつ病になった夫婦の生活を描いた漫画を読んでいました。
そのなかで「うつは人生の夏休み」というフレーズがありました。
何かほっとする感じがして救いがあるな、という印象を持ったのをおぼえています。
時は流れ、多少なりとも心理臨床に触れ、今そのフレーズを改めて考えてみたのですが、
それだと、いつか休みは終わって、学校(社会や会社)に戻るイメージに自然となりますよね。
それこそ憂鬱にならないですか?
このフレーズは、社会や会社が人生のメインという思考から抜け出せていないことに由来すると思います。
まさにそれがうつの原因だとも思います。
それでも、心身が疲弊していて休息が必要なこと、つまり生命や健康を守るために最低限必要なことは認識している。
それで、うつが夏休みだという発想になるのでしょう。
ついでに言うと、「寛解」という言葉も、当たり障りなくその人を元の路線・生き方=社会や会社に「戻す」思考のような気がしてなりません。
うつから本当に立ち直るには、休息や寛解だけではなく、それまでの生き方・視点を少なからずシフトすることが必要なのに。
そこで視点をシフトします。
人生のメインは学校や会社に行っている時間ではありません。
「人生の大半は夏休みの状態であるべき」です。
夢中になってセミやザリガニをとり、
だるくなるまでプールで泳ぎ、
怪談話に怖がりながらも生死について思いをはせる、
それが人生の醍醐味のいわば原型です。
このことを、この感触を、しっかり思い出してほしいと思います。
夏休みには登校日があります。
夏休みの宿題もあります。
ココロのなかの割合からすると、仕事の割合はそんなものでちょうどいいのではないでしょうか。
大人になれば、たしかに仕事の時間は長いかもしれない、しかしそんないわば「量」的な視点に対し、あくまで自らの人生を中心に据える、したたかに自分だけの楽しみを楽しむ「質」的な視点が必要なのです。
(次回に続きます)
2017年4月26日