サラリーパーソンの護心術2−二重構造

自分に二重構造を持つ

会社に入ると必ず上司が存在します。

そして、みなさんにとって会社≒上司ではないでしょうか。

会社という目に見える実体は存在しないので、日々自分へ仕事の指示を出し、給料・昇進の査定権を持つ上司がみなさんにとっての実質的な会社と言ってもいいでしょう。

そして、上司の話を理解し、相談・報告しながら仕事を進めないと、仕事を遂行できないと思います。

 

その際、上司に注意された・おこられたといった場合に落ち込む方はかなりおられるのではないでしょうか?

 

その落ち込む時の感じ方は、多くの人達は人格を否定されたかのように感じていることが少なくありません。

その精神構造は、前回書いた「会社を相対化・客観視しないで、会社に所属している」心理が要因になっていると私はみています。

会社すなわち上司からおこられると、その種の人達は自分も会社に属しているわけですから、自分から自分がおこられたという一見不思議な精神構造をもつことになります。

 

会社に属している、という精神状態は無自覚に行われているために本人は気がつきませんが、本来は会社を客観視するところの主体であるはずの当の本人の価値観が会社サイドに入り込んでしまっているので、会社=自分から自分がおこられたという構造が成立するのです。

これは、うつの中核要因である自己否定のメカニズムと同じです。

 

「自分を否定できるとすればそれは自分だけ」です。

本来の自分ならば決して自分を、つまり自分の人格を否定しません。

主体が自分にあれば、主体=自分の人格を否定するものは存在し得ません。

しかし、本来の自分ではない、自分と完全に異質である会社というものに主体を預けてしまうと、当然ながら自分とは違うものですから、主体は混乱します。

そして、本来の自分(主体)が、異質である会社に侵食されてしまうと、異質の方が主体になって、本来の自分=人格を評価したり、ダメ出しをしたりするようになります。

それゆえ、人格を否定されたという感じを持つ方が多いのです。

 

実際には、おこられてムカッと腹が立ち、サボってやろうかと思いながらも、基本的には言われたことを言われた通りにやろうとします。

その傾向が強い、つまり「頑張る」人達ほど、一生懸命言われたことをやろうとしますが、精神構造上そんな上司からの叱責を客観視してチェックすることが出来ず、会社に身を委ねているために歯止めがきかないのです。

しかし、歯止めがきかないと、早晩身体が悲鳴をあげます。

そして、そんな自分の状態を情けなく思い、仕事を「頑張る」ことが出来ない自分を責めるようになります。

 

こんな状態に効くのは、二重構造の自分をもつことです。

 

上司の話を理解し、やれる範囲で仕事をやるという理性フェーズの自分。

会社に適応的な、社会性のある部分です。

 

理解はするけれども、受け入れ・同意は常に保留しますよという人格フェーズの自分。

会社には無関心な、自分の感性・オリジナルな部分です。

 

この二つをきっちり区別して意識的に持つことです。

もちろん、自分の核(コア)にあるのは人格フェーズです、会社を客観視するところの主体もこの部分です。

 

実際に会社に居るときは、仕事をしているので、社会的な事柄が得意な理性フェーズを主に働かせますが、人格フェーズも待機させておきます。

上司から叱責を受けたとき、過剰とも思える仕事量を要求されたとき等は、理性フェーズでその内容を整理しながらも安易な受け入れはしません、受け入れの権限は人格フェーズがもっています。

もし、理性フェーズで理解して仕事上で処理が可能なら、それはそれでよしですが、人格フェーズも働かせて、本心からの同意が難しいようなら受け入れを拒否することになるでしょう。

拒否のスマートなやり方は、理性フェーズの範疇です。冷静に知恵を絞ります。

 

このように表面上は理性を働かせて仕事をしながらも、そのコアには会社に染まらない自分の人格をしっかり保持しておくという構造を持っていると、人格が理性を駆使して会社を客観視する趣になります。

上司からなにか言われたときも、理性で一旦受け止めるので人格は傷つかないでしょう。

そして、理性は人格と協議し、理不尽なことにはノーと言える。

二重構造を持てば、そんなしたたかな処理ができると思うのです。

もちろん、このような精神構造は、前回書いた「会社から「盗む」」際に大切な、会社を客観視する・自分と会社は対等である、という意識と全く同じものです。

 

2017年5月29日