少しだけ本質的な/深めのお話−道(タオ)

道(タオ)のこと

シンクロニシティという言葉を聞いたことがある方もおられると思います。

 

何かを必死で探し求めているときに、次から次へと必要な情報やものが向こうから飛び込んでくるように自分の手に入る。

思いもよらない事が起こって、ふとした軽い気持ちからその事に関わってみたら、あれよあれよという間に予期せぬ素晴らしい経験をする。

そして、それは実は、今まで気づいてはいなかったけど、本当に自分が求めていたものだったことを知る。

 

フロイトと並ぶ心理学史上の大家ユングは、そんな現象をシンクロニシティ=「意味のある偶然の一致」と呼びました。

 

そのユングも考えていたことですし、私もそうかなと思うのは、シンクロニシティの元にある「道(タオ)」のことです。

タオは古代中国の老子が唱えた思想で、人智を超えているかのように見えるけれど、実は人間も含めた宇宙全体に流れている、ある方向性をもった巨大なエネルギー・智慧の源ようなものをいいます。

タオを感じる感性を磨き、タオの流れに沿って生きれば、宇宙の一存在としての自分の生をまっとうできる、というものです。

 

近年は、タオと量子物理学(素粒子や電子の研究)の類似性が指摘されています。

両者とも、時間の流れや空間の範囲に限定されない(非局在性)のですが、しかし一定の方向性やエネルギーをもっています。

二千年以上前のタオ思想と最新の科学が出会うなんて面白いですね。

 

素粒子の性質として、他の物質(仮想粒子)に衝突するとある時間のあいだ(人間からみれば)時間を遡行することが知られています。

そのことをシンクロニシティ現象と重ねると、説明出来てしまうので、簡単な図で書いてみましょう。

 

下記の図で、横軸に素粒子の時間、縦軸に人間の時間があると思ってください。

矢印は、人間と素粒子の相互作用の結果、つまり、タオの導きに人間がどう反応していくかの軌跡、とでも捉えてみましょう。

 

<予兆> 

        ↗

     。

  ↗↘↗

                       ◎

 

上図の◎は、この文章の始めのほうで書いた「ふとした軽い気持ち」です。大きい◯(小さい◯も)は、「予期せぬ素晴らしい経験」です。

 

横軸の素粒子(タオ)からみると、まずはじめに、タオが素晴らしい(すなわちこの人間にとって素晴らしい)出来事◯に衝突してはね返ります(衝突の際に◯がはじけてもうひとつの小さい◯ができます、また厳密に言うとこの時点では人間は◯を通過(経験)していません)。

次に「ふとした軽い気持ち」◎としてひとつのポイントを作ります。

この際、横軸の素粒子からみれば時間順序は◯→◎ですが、縦軸の人間からみれば時間の順序は◎→◯(小さい方の◯)というように、素粒子とは違う時間性=遡行を経験します。

それが、軽い気持ちという予兆めいた感覚として経験されるのです。

その「予兆」は、実は素晴らしい経験との衝突の「結果」として素粒子が与えてくれたものなのですが。

そして、その後は通常通りのベクトルを進んでゆきます。

 

もちろん、「ふとした軽い気持ち」を実行に移すかどうかは人間の決定に委ねられています。

それ以前に、軽い気持ちさえ感じることのできない、素粒子のサインを見逃す人、つまり「そんな非科学的なことは信じない」人が大半であることは言うまでもありません。

実行に移されない場合は、ベクトルは小さい◯を通過せずに、もっと離れたところを進んでゆきますから、その人間は「素晴らしい経験」をしないことになります。

 

<ほとんど同時>

     。→◎○

  ↗    

                       

上図は、この文章の始めのほうで書いた「何かを探し求めているときに、次から次へと必要な情報やものが向こうから飛び込んでくるように自分の手に入る」ことを表します。

探し求めているもの◯に衝突した素粒子が真横に動く場合は、人間から見ればほとんど同時間か極めて短い間にトントン拍子に、必要な情報やもの◎、そして求めているもの◯を手に入れるのです。

 

本当に必死になっている時には、余計なことを考えないので、素直にタオの流れに乗ることができ、◎や◯をすぐに手に入れられるのでしょう。

 

タオに身や心を開けば、信じられないくらい素晴らしいことを経験できる。

但し、それにはタオを感じて行動に移す鋭敏な感性、なによりちっぽけな人間の知識を捨てて未知の大いなるものに身を委ねるおおらかさ、といったものが大切なのでしょう。

 

2017年6月23日