この場を借りて、介護をする(していた)家族のグループ「介護家族のとまり木〜気持ちを吐きだしましょう〜」をフェイスブックの非公開グループで始めることについて、お知らせしたいと思います。
以前こちらで書きましたように、現在私は両親と叔母の3人を介護施設に預けています。
叔母に続いて昨年両親が施設に入るまでの6年を当初は通いにて、そして同居にて世話をしました。
今でも定期的に両親と叔母のもとに通い、施設スタッフに要望を伝えながら、彼らの様子を見守っています。
6年間のなかで、そして今も、なのですが、介護に伴う尋常ではない苦労というものを気軽に吐き出せるSNSの場がないことに私は気付いていました。
現場の介護職をメインに情報交換や不満を共有するグループならあるのですが、介護をする家族にフォーカスしたものはほとんど見当たりませんでした(セミナーを目的としたNPO等のHPなら散見されるのですが)。
その一因には、介護する家族の事情は千差万別で、お互い会話したとしても経験の内容が違うので、話が噛み合わないから、なのではないかと思ったのです。
まず、通いか同居か施設かで介護者の負担の内容が異なる、認知症があって会話が困難かそれとも理性的に会話ができるのか、また兄弟姉妹が協力的かそうでないか、なにより自分自身が老親の変貌ぶりに戸惑って考えや感情を整理できていないかのかそうでもないのか、等々人それぞれ異なっています。
介護に限らず、種々の家族会や自助グループで「基本的にアドバイスをしない」ことがルールとしてあるのは、このような事情があるからだと思われます。
しかし、それなら、お互いがまず異なることを認識したうえで、コミュニケーションすればよいと私は考えます。
そのことをフェイスブックグループの「情報」に書きました。
相手が自分と同じような環境に居て、同じような考えをしているはずだという意識こそが、的はずれなアドバイスや押し付けになります。
反対に、お互いが異なることから出発すれば、コメントを書くにも慎重になる、コメントを書くのを控えて「いいね」等をしても、それはそれで書き手への励みや慰めになる。
アドバイスを書くにしても、相手に役に立たない可能性があることを認識していれば、書き方にも抑制が効いて穏やかになる。
そして、なによりも、「違う」のであれば、そこに橋を架けようとして想像力が働きます。
それがなければ、ルールで縛っても、人間的なコミュニケーションができないと思うのです。
本当のコミュニケーションの醍醐味はそこにあるとも考えます。
まあ、そんな難しいことを考えなくとも、このようなグループの良いところは何と言っても、「苦労しているのは自分だけではないんだ」ということを実感できることです。
そして、やはり胸に溜め込まず、思いを吐き出すこと、これが何よりのことだと思います。
興味のある方は是非ご参加ください!
フェイスブックグループ「介護家族のとまり木〜気持ちを吐きだしましょう〜」
→「介護」「家族」で検索頂ければ、すぐ見つかります。
2017年6月27日