少しだけ本質的な/深めのお話し−元型②

元型(archetype)と「易経」

同じ親から生まれても、気質や能力や嗜好、つまりオリジナリティは全く違います(そして、そのことを完全に無視するとうつになりかねない・・・)。

当たり前のことですが、それは何故なのでしょうか?

そのことを考えると、どうしても「元型」に考えが行き着いていきます。

 

元型archetypeはユングが考えた造語で、人間には古今東西に関係なく、その人の人となりを決定する普遍的ないくつかのタイプ=元型を備えている、というものです。

 

英語で、archとは「根源の」「完全な」という意味です。

建築家architectのarchもこれに由来します。

大文字でArchitect、となると「神」を意味しますので、archとはものごとの骨組みや構造、すなわち根源的な本質的な成り立ちを表すものなのです。

 

ユングは心理の研究を進めるうちに、「易経」に出会います。

「易経」は紀元前8世紀に中国で書かれたと言われていますが、その思想自体の成立時期は分かっていません。

「易経」のなかに自ら考えていた「元型」の体系的な記述を発見し、大昔から、しかも東洋にその思想が存在したことをユングは知り、驚愕するのです。

 

「易経」は、あの有名な「八卦」が根本思想としてあります。

乾、兌、離、震、巽、坎、艮、坤の八つです。

 

このなかのひとつ、坤(こん)を挙げてみます。

坤(こん)が元型を表します。

この文字に元型の意味=本質が集約されています。

しかし、それだけでは抽象的でイメージが湧きません。

 

「説卦伝」という「易経」の注釈によると、「坤」の本象(中心となる象徴)は「大地」です。

その「大地」に象徴されるものとして、「母性」「平等(別け隔てなく愛する)」「布(柔らかく包む)」などが人や物事の性質や個性として立ち上がってくるのです。

(他にも、乾は「天」、兌は「沢」、離は「火」といった具合に各々の本象があります)。

 

前回、人はココロの中に「生命力を感じる側面と自分の存在意味を感じる側面の二つを持ってい」て、「二つの側面はすっぱりと分けられるものではなく、お互いが反応し合う」と書きました。ここで言えば、「大地」は生命力の側面に近い、「母性」等の色々な個性はその人の存在意味の側面、ということになるでしょう。

 

「坤」というものが元型にある人は、性質としてはどっしりとして穏やかだけど気丈で(そしておそらくはそういうリズムで生きることに生命力を感じ)、個性や能力の方向性としては、ビジネスマンというよりは教育者や援助職といった感じになるかもしれません。

但し、とりあえずは。

(続く)

 

2017年7月7日