少しだけ本質的な/深めのお話し−元型⑤

元型(archetype)と「神話」

易経、セフィロート、エニアグラムに続いては、真打ち登場ということで、「神話」について考えてみます。

 

エディプス・コンプレックスは、私のような心理カウンセラーにもお馴染みのフロイトが提唱した人間心理に関する基本的な考えです。

生まれた瞬間から人は、生き物として/知性をもったヒトとして/社会集団に生きる人間として、母親的な関わりや父親的な関わりを経験しながら、自立してゆくというものです。

おおまかに言うと、赤ちゃんのときの母親的なものとの融合的な関係から、父親的なものへのあこがれ/反抗心を抱く心理を経て、父的母的なものとお互いに自立した関係=社会への参入をもって成長が成し遂げられるプロセスです。

 

フロイトは、人間にはいわば心身の成長のメカニズムとして、融合から自立へという方向性や道筋がもともと内蔵されていると言っており、神話的なスピリチュアルな意味を持たせていません。

 

それでも、フロイトが目指した「科学的な」精神分析のコンセプトの核にあるエディプス・コンプレックスは、その元祖は神話にあります。

 

「エディプス王」の物語は、紀元前5世紀にギリシアのソフォクレスが著しました。

王と王妃のあいだに生まれ、捨てられた子供が逞しい青年になり、(そうとは知らないで)父を殺し、(そうとは知らずに)母と結婚して子供をもうけ、ある日自分の生い立ちを知り、父殺しと母との近親相姦に耐えかねて、自ら目をえぐって悲嘆の生涯をおくる、という話です。

 

ここには、「象徴的な」父という重荷を「象徴的に」殺して乗り越えるという、自立への不可欠なプロセスがありますし、「象徴的に」母と繫がりそれを後悔することには、赤ちゃんのときの融合関係から抜け出せという戒めの意味があります。

また、自殺したりせずに悲嘆の生涯を送るのは、人間として他者とべったりの融合関係に耽溺したり、逆に誰かを殺すくらいに罵倒して対等な人間関係を築けないといった両極端な心ではなく、悲嘆や赦し等色々な感情を保持しつつも統合しようとする「人間としてあるべき」葛藤を抱えられるくらいに心を広く強く生きる、という普遍的な意味が込められています。

 

このように神話は、人間の成長と成熟にとって欠かせない様々な岐路や機微を分かりやすい元型物語に精製して、代々伝える人類の大いなる智慧なのです。

 

子供に対し、満たされなかった自分の欲望や執着を無意識のうちに習い事や受験、あるいは周囲から尊敬される立派な人になれというかたちで押し付け、子供の心本来の成長を阻害する親がいます。

これは精神症状の元となり得るのですが、そんなことを親がしないように、子供は時が来たら親(や親的なもの)から一旦離れてそしてかつて親であった人間に対等な関係で再会する必要があるんだということ、親のほうもいずれ自分を乗り越えて子供が自力で進んでいけるように、葛藤を保持していられるくらい強い心をもって他人と信頼関係を作れるような予行演習を家庭でする、そんなことをするのが家族という場=社会の基盤、なのだと思います。

 

2017年7月28日