少しだけ本質的な/深めのお話し−元型⑥

元型(archetype)と「神話」(続)

神話、といえばジョセフ・キャンベルです。

「千の顔を持つ英雄」や「神話の力」が代表作で、膨大な博識と人類文化への理念をもって、神話のもつ意味を実に面白く語ってくれています。

「喪失・出立・冒険・帰還」という人類の「元型」物語の着想をキャンベルから得て、ジョージ・ルーカスが映画「スターウォーズ」を作り上げたのは有名な話です。

 

さて、「神話の力」のなかでキャンベルは言います。

「無上の喜びを追求したことのない人間。世間的には成功を収めるかもしれないが、まあ考えてごらんなさいーなんという人生でしょう?

自分のやりたいことを一度もやれない人生にどんな値打ちがあるでしょう?私はいつも学生たちに言います。きみたちの体と心が欲するところへ行きなさいって。これはと思ったら、そこにとどまって、誰の干渉も許すんじゃないってね。」(「神話の力」第四章「犠牲と至福」)

 

無上の喜び。この言葉こそ私が申し上げたココロの「生命力を感じる側面」と「自分の存在意味を感じる側面」の両方を包含して、分かりやすく直観的に言い表した言葉です。

「無上の」というくらいですから、計算高い理屈はそこになく、むしろ、生まれつき・気がついたら・否応なしに、といった感じで、ある種の大きな流れや力のなかに自分オリジナルな喜びが在るというものです。

 

キャンベルは続いて、中世ヨーロッパでよく知られた「運命の輪」に触れます。

「運命の輪」とは、人間の胸を軸に水車のような輪が回っていて、その輪には王様もぶら下がっていれば、裸の子供も老いた貧者もぶら下がっているという絵です。

 

「もしあなたが、運命の輪の縁に取りついたとすると、あなたは頂点から下がるか、底辺から上がっていくかのどちらかです。でも、軸に取りついたなら、常に同じ位置にいる。(中略)健やかなときも病めるときも、豊かなときも貧しいときも、あなたが私にもたらすかもしれない富ではなく、社会的地位でもなく、あなた自身が至福なのだ。無上の喜びを追求するとは、こういうことです。」(「神話の力」第四章「犠牲と至福」)

 

「運命の輪」は、よく見ると心臓を軸に回っています。

これはまさに自分の「中心」が心臓=心=ココロにあることの象徴でもあります。

かたや、軸でなく輪の縁はさしずめアタマに該当するでしょう。

こういう本質的なことをイメージ・象徴=神話のかたちにソフィスティケートして代々伝えていた人類の智慧は素晴らしいものだと思います。

 

一方で、近代の科学技術信奉・経済成長無条件肯定の流れのなかで、このような智慧が忘れ去られていきそうなことに残念な気持ちが私には湧いてきます。

おそらく、そのようなココロをなおざりにした家庭・教育・社会というものを背景に、うつ病をはじめとした精神症状も現れてきていると感じるからです。

 

2017年8月5日