心理のよもやま話−うつ病の真実④:睡眠障害

うつ病の真実をリアルにかつ構造的に捉える試み④:睡眠障害(早朝覚醒)について

うつ状態で億劫さと並んで典型的なのものは睡眠障害です、なかでも早朝覚醒は多くの方が体験されています。

睡眠不足はまことにつらいもので、心身ともに疲労感や焦燥感が溜まっていってしまいます。

 

では、「なぜ」「なにゆえに」眠れなくなるのか?

 

現在の常識的な一般的な医療は、これに対する回答をもっていません。

無理やり眠くすること(睡眠剤)なら出来るようですが。

 

私は、億劫さと同じく睡眠障害には意味があると考えています。

但し、億劫感はその人のそれまでの生き方の根幹に関係する部分に狙ったように現れるのに対し、睡眠障害は狙ったようにハッキリとは対象を判別できないものの、睡眠ができなくなること自体に重大な意味があると私は考えています。

 

この問題を考えるには、想像力や直観を働かせないと追いついていけません。

他人が見たら荒唐無稽に思えることもあるかもしれません。

 

何回か前、ココロには「自分の存在意味を感じる面」と「生命力を感じる面」があると書きましたが、そんなところにキーがある気がします。

 

これもずっと以前書いたことがありますが、早朝覚醒は「この生き方から早く目覚めよ!」というサインだ、という考えは変わっていません。

また、夜遅くなっても寝付けないという状態は、「こんな生き方じゃ、おちおち安心して寝付けないよ!」というサインだという見方もできます。

「自分の存在意味」について、ココロが軌道修正を求めていると私はみています。

 

一方、「生命力を感じる」面で想像すると、自然な生命リズム=眠くなったら自然に眠る、という「真っ当な生命のサイクル」=「本来のいのちの使い方」に今の生き方は逆行している、ことのサインという見方もできます。

そのサインが、自然なサイクルとは正反対のベクトル=睡眠障害=不自然なサイクルという症状となって現出している・・・。

 

今まではおそらく、「明日の為に」(いまこの瞬間ゆっくり眠るという自然なサイクルを無視した、未来だけにアタマが向いている作為的思考)、「早く寝なければ」(自分のココロを顧みない、〜しなければというアタマ優位の「欲望」)というような生き方をしてきたのかもしれません。

ココロとカラダは、今の生き方は睡眠という生命体の根幹に関わるほどつらい!ということをもの言わず、実力行使で訴えているのでしょう。

 

そう考えてくると、睡眠というものはココロに主導権がある、ということになります。

ココロが満足すれば、睡眠は自然と訪れてくる・・・。

 

睡眠障害は、また、眠っているとき夢を見るという、生命体と存在意味の両方の根幹がおびやかされていることのサインでもあるとみることもできます。

 

まず、夢は脳の各所にあった感情や記憶を整理して、それらを統合するという生命体にとって重要な役割を果たしています。

感情や記憶を整理統合出来なければ、それらはいつまでも脳の各所にこびりついたままで、過去のものとして感じられず、生生しい辛いものとなって生活や仕事、特に人間関係に悪影響を与えます。

 

そして、夢は人間の存在意味についても大きな影響があります、むしろ昼間の思考よりも夢が基盤となる役割をしているようにも思えます。

ポール・マッカトニーは、ある朝目覚めた時に既に「イエスタディ」のメロディが頭の中に鳴っていたそうです。「こんなメロデイ聞いたことないぞ」と言いながら、すぐにピアノでそれを再現したものがあの名曲になったというわけです。

夢からの目覚めの瞬間=ココロの領域である睡眠に充分浸った後、アタマの領域である昼間に踏み出したその端境の瞬間に、創造的なインスピレーションが現れる、ということの好例です。

睡眠障害は、創造的な表現=自分本来の表現・生き方ができないことへの警告なのかもしれません。

 

脳の統合や夢はココロが主導権を持ち、昼間の現実活動はアタマが主導権を持っている。

そして、ココロとアタマの境界=融合=創造性も大事である。

睡眠は、そんなココロとアタマというサイクルを回す主軸なのです。

睡眠障害は、そういう大事なサイクル=自分本来の生き方の根幹=主軸に関わる、今後の生き方への警鐘なのだと私は考えています。

 

2017年9月9日