うつ病の真実をリアルにかつ構造的に捉える試み⑤:うつからの再生について
それまでのベクトル=それまでの生き方に対し、うつ症状というカウンターパンチをもって180度反対するベクトルが生じてくる。
言うなれば「反」ベクトルが出現する。
しかしもちろん、反ベクトルが現れた意味は、何かを訴える・気付かせることであって、苦しみをもたらすことでありません。
うつ症状にしてみれば、やむにやまれず、必要があって出てきたわけです。
「②二次元 今までのベクトル/それに180度逆行するベクトル(うつ症状)」から抜けるには、ベクトルそのものがない次元に移行する必要があります。
それが「③三次元 ベクトルのない「自分」が存在する」構造です。
「反」ベクトルから「非」ベクトルの世界に移行するのです。
今までは過去への後悔や未来への心配があって、それらを解消したいがために世間の常識や社会の圧力への同化を受け入れていたベクトルがあって、うつ状態はそのベクトルへの異議申し立てだった。
それを、過去や未来を過度に気にかけない、今ここに生きる「自分」の感覚を中心にすえ、社会の要求する「こうあるべし」というベクトルありきの表面的な押し付けを離れて、「自分」のココロの深みや遊びが三次元的に自由に偏在する構造に遷移することです。
そこに移行するには、億劫感が出る時の感覚を手掛かりに、今までのやり方/働き方/考え方のどこに引っかかってカウンターパンチが出ているのか、またそれらが睡眠障害があるくらいに自分の根幹=生き方の基本方針に、どの程度関わるものなのかを丁寧に吟味してゆく作業が不可欠です。
「以前は通勤の時に新聞を読んでいたが、今は新聞を広げるのも億劫だ」という訴えは、おそらく幼少の時から自身の感じ方を表現(アウトプット)する機会を与えられず、絶えず宿題・受験・就活といった情報摂取(インプット)や世間に恥ずかしくないように人様の真似をする(インプット)等の生き方をさせられてきた人のココロが出しているサインです。
そのサインは、目の前の現実では新聞を読むというインプットの代表的な行為を狙って症状が出現していますし、根幹的な意味ではインプットばかりして生きることへのココロの窒息感として現れています。
カウンセリングでは、インプットに関係する思考=多くの場合それはその人が疑うことなく従ってきた思考パターン、を吟味していきます。
カウンセラー「新聞って、読まないといけないんでしたっけ?」
クライアント「日経新聞くらい読んでないと恥ずかしいですから」
カウンセラー「〇〇商事の社長は新聞は一切見ないって知ってます?」
クライアント「あ、そうなんですか」
こんな会話で、その人の「常識」を一つ一つ問い直していきます。
カウンセラー「会社に遅刻していくのも恥ずかしいと思ってます?」
クライアント「目立つので恥ずかしいです、台風の時なんかは早めに家をでます」
カウンセラー「台風の時ぐらい、それを口実に思いっきり遅刻しようとは思いませんか?」
クライアント「まあ、ちらっとそう思うこともありますが・・」
カウンセラー「ちらっと思う気持ちに目を向けてみませんか、目立つとと恥ずかしいという気持ちも含めて・・」
「ちらっと」思う気持ち(おそらくは抑えつけられていたココロの気持ち)を糸口に、その人の「常識」と「ココロ」が対話してゆくのをサポートしていきます。
対話の末、それまでの「常識(ベクトル)」を「ココロ」が判別し終えたところで、ココロは本来の構造=「③三次元 ベクトルのない「自分」が存在する」構造に遷移してゆくのです。
(続く)
2017年9月16日