心理のよもやま話−うつ病の真実⑥:再生(続)

うつ病の真実をリアルにかつ構造的に捉える試み⑥ーうつからの再生について(続)ー

対話のなかで、その人のそれまでの「常識(ベクトル)」を「ココロ」がチェックする。

それは、常識(ベクトル)とうつ症状(反ベクトル)の綱引きを解消して、「〜すべし」という定方向のベクトルがない構造に次元ワープするプロセスです。

 

ベクトルがないということは、外部からの情報や制約的な束縛が無くなって、いつでもどこでも自分=内部が主導権をもって自由に生きることです。

感覚的には、自分の存在が飛躍的に拡大し、どっしりと落ち着いたように感じながらも、今この時を自分が生きるために臨機応変に行動できるようになる、という状態です。

 

大海を泳ぐクジラが、お腹が空けば海面に登ってきて魚の群れを食べたり、ときには海面にジャンプして遊んだり、休みたいときには何百メートルも深いところに潜って静かに休養しているように。

あるいは、季節や海流の変化に応じて、何千キロも移動するように。

 

こんな状態を心理学では、「本当の自己」を回復したと言います。

但し、それは生まれたばかりの時の純真無垢だけどひ弱な本当の自己ではなく、現代社会の常識の良い面や悪い面をチェックして自分の思考に活かせるココロをもった、再生強化された本当の自己です。

 

このような、一旦社会の常識のなかで自分が窒息しそうになった後に再生する過程を、古くから仏教は「分別」と「無分別」という考えで表す智慧をもっていました。

 

このせちがらい浮世で生きる以上、受験していい学校に入るのよ、とか、就活していい会社に入るのが幸福につながるんだという「〜すべし」という教えに、人はどうしても一旦は巻き込まれざるを得ない。

それが「分別」の最たる状態です、「分別ある人間になりなさい!」。

 

そして、それが全面的に自分を覆ってしまった場合にはうつになったりする。しかし、それは実は本当の自己への再生のチャンスである・・。

 

ついに、その「分別」の硬直ぶりや浅薄さにココロが気づいたときに、私たちはその窮屈な次元を離れて、本当の自己が悠々と在る次元に移行します。

それは「分別」というのっぺりと平板で押し付けられた鬱陶しさが無い(無分別)、心の深みもあれば魂の上昇もある三次元的な自分主体の次元なのです。

 

2017年9月24日