森有正著『森有正エッセー集成3』ちくま学芸文庫
森有正著『森有正エッセー集成3』ちくま学芸文庫、「遥かなノートル・ダム」(1966年)より、フランスの教育についての言及の箇所です。
「その教育を見ていると、人間の中心課題である経験と思考、伝統と発想との問題がその構想の大きい骨組になっていることがわかる。
ある一つのことば、観念、或いは課題について何か言うことは、それについて何か心に浮ぶ感想を述べることではない。
それについての正しい知識、さらに適切に言えば、自己の経験がそのことばや観念の定義を構成するに到る時、われわれは初めて意味のある発言をすることが出来るのであり、その発言は同時に行為の形をもとりうるものである。
こういう人間についての基本的なことがらがその教育の根底にある。」
(24ページ)
森有正は、1911年生まれ、1950年に渡仏して26年間日本語・日本文化の教師をして1976年パリで亡くなりました。
自分の血肉化できないものごとを徹底的に拒否し、自分の内面に入ってくる「経験」を噛みくだいて、普遍的なことに昇華して表現しようとした人です。
日本人でもなく、フランス人でもなく、異邦人というか一個人として外国で生涯を送った人です。
この本には、ものごとを普遍化しようとする森の苦闘が実を結んだエッセイと、それを書いた頃の彼の日記が収録されています。
エッセイの部分はものすごく凝縮された言葉が全編ぎっしり詰まっています。
また、日記の部分は、読みやすい文章ですが、かなり孤独感というか寄る辺無い寂寥感のようなものが漂っています。
ともすると、そんな寂しい雰囲気の本は読みたくない方もおられるかもしれません。
しかし、森有正は孤独になりそこに沈静していくことで、自らの経験を意味有るもの=普遍的な思想に昇華していったと考えられます。
彼は、(外国で長い間暮らすことで余計に)外部からの借り物の考えで生きてゆくことへの危機感を感じ、自らの感性・経験を拠り所に生きることの大切さに気づいていったと私は思います。
但し、外部から知識をインプットするのは研修にでもいけばすぐに出来ますが、森有正のように自力で自らの経験を応用可能なことに育ててゆくのは時間も忍耐も必要です。
ものごと→個人の内面→経験化→普遍化
おそらくこんな感じのプロセスで意味のある経験の蓄積と普遍化は行われると思うのですが、各矢印の段階にかかる時間は数ヶ月や数年のスパンではないでしょうか。
そして、修羅場もくぐったり、悩んだ末切羽詰まって誰かに助けを求めることもあるでしょう。
現代では、教育もビジネスも結果がすぐに求められるので、こういう長い目でみた滋味のある考え方を多くの人は忘れてしまったのでしょうか。
個人的な考えかもしれませんが、私はこのプロセスがうつ状態が求めている最も崇高で深遠な意味だと思っています。
人間には、その人独自の意味深いものを探索することがおおらかに許されるべきだとも思います。
この本を手に取り、感性が合うようなら、この本の世界に浸ってみてください。孤独で寂しいとみえる外見を突き抜けた奥に、豊かな力強い生き方の世界が待っています。
2017年10月1日