心理のよもやま話-一者/二者心理学②

one person/two person psychology②−思い出

私は、両親を介護施設に預けています。

母はかなり進行した認知症なのですが、私や兄が赤ちゃんだったときや2〜3才頃の可愛いさかり、そんなときの写真(まだ白黒フィルムの時代です)を彼女に見せると、もうにこにこにこっという感じで顔を崩して喜びます。

 

その際に、周りに座っていた他のご老人たちが(食堂で写真を見ていたのです)、普段は静かに座っているだけなのに、この時は(歩ける人は)近寄ってきて写真を覗き込んで「あら可愛い」とか言うのです。

ほかのテーブルでも、車椅子(だいだいの人は車椅子です)の人がこちらを見ています。

 

そこまでは普通の光景ですが、他のテーブルから車椅子で遠目で様子を伺っていた人も含め、幾人かの人が「私も写真、私も写真」「私の写真はないの」と言い出したのです。

こういう状況では、人間いくつになっても、そしてとくに老人ゆえに余計にtwo person psychology(二者心理学)の世界に生きているんだなと思います。

 

手離せない大切な写真というのは、自分のなかの自己対象=自分を支えてくれ生きる自信の根源となった経験、が具現化して手にとって目で見られるものです。つまり思い出です。

人間、ときどきは手で触れられる自分だけの思い出によって、自己を元気づけて安定させることが必要なのです。

 

そのことを老人でも誰でも人は本能的に欲しているので、私の母の安心して安定した雰囲気に敏感に反応して、近寄ったりしてきたのでしょう。

そして、その雰囲気に素早く自己を照らしあわせて、自己が安定していないなと無意識が判断した老人は「私の写真はないの」と言って、自己対象の具現化したものを求めたと考えられます。

極めて二者心理学的な、いや二者心理学という考えを導き出す心の構造の具体例だということができるでしょう。

 

まして、車椅子に座っていて、自由に動けない人は自己対象が具現化したモノにも、風景にも、人にも接する機会がかなり減ってしまう。

老人は自力で出来ることが少なくなるにつれて、だんだんと赤ちゃんに戻るとよく言われますが、そんな人間の原初のあり方に老人と赤ちゃんで通じることがあるのだと思いますし、

それになんといっても二者心理学は、乳幼児の心を観察するところからだいぶ知見を得ていますので、赤ちゃんと老人を二者心理学の視点からケアすることは理にかなったことだと思うのです。

赤ちゃんと老人に対して、自我の確立や成長を求める一者心理学はいかにも適さないという気がします。

 

人間の心は本当に多様なものだと思います。

 

2017年10月15日