心理のよもやま話−一者/二者心理学③

one person/two person psychology③−ほめる

親が子供をほめる時(ほめているつもりの時)、子供の中に「自己対象」がうまく育つようにイメージしてほめている親御さんはどれくらいおられるでしょうか?

 

たいていの場合、親は「子供のためを思って」、テストで良い点をもらったらほめ、習い事が上手になったらほめ、といった感じではないでしょうか。

 

おそらく、そんな時のイメージは一者心理学のイメージ、つまり将来困らないようにしっかりした自我をもった子に育てるというイメージがあるのではないかと思います。

 

これはこれで、別段害はない育て方だとは思います。

 

但し、「子供のためを思って」という思いが、例えば実は親自身の満たされなかった欲求を子供に代理で実現してほしいという欲望の押し付けだったりすると、問題が生じてきます。

そんな育て方は子供本来の個性を無視したものなので、子供の自我を育てるよりも、超自我を過剰に肥大させることになります。

 

超自我とは規律や理想像など、子供には荷が重い理性の要素ですが、成長するにしたがって自我が強くなると、うまく規律や理想を自分の指針として生かせるようになるという重要な役割をもったものです。

したがって、そこには厳格といいますか、崇高といいますか、敬うべき対象、ひいては敬われる超自我をめざして自我も成長するという意味が本来はこめられています。

そんな超自我へ欲望という要素を親がふきこむと、超自我は本来の役割を歪めて、子供の自我に欲望をむけるようになりますから、子供は自我が育たず、超自我から仕入れただけの画一的な思考や感情しか持つことができなくなって、将来神経症・人格障害圏や心的トラウマ(いわゆるアダルトチルドレン)等の精神的な症状をもつ可能性もあります。

 

このような一者心理学的な枠組みでのほめ方に対し、二者心理学では子供自身をほめるというよりも、子供の内部に自己対象が育つようなほめ方をすると考えます。

 

簡単に言うと、子供という自己があって、その自己が好きな/楽しめる/誇らしい/尊敬できる/畏怖するものは、自己が選択して受け入れて初めて自己を支える自己対象となるのです。

 

そこには押し付けや子供をある方向に行かせようという欲望はありません。

選択権は子供にあるのです。

 

子供が何かをして、それをほめてあげる、そんな時に子供は敏感に親の顔色をうかがっています。

だから、親はほめるときに親自身の欲望が満たされたからうれしくてほめているのかどうかに気づくべきですし、なによりも子供が子供自身の心から楽しんでいるかどうかに敏感になるべきなのです。

 

また、子供自身が「何か」という自己対象だけでなく、「やり方」も自己対象に取り込んでいくように促す方法があります。

それは、親自身が何かに熱中して楽しむ姿勢を後ろ姿で見せることです。

すると子供は、自分で決めたことを存分に楽しんでいいんだという、ほめることの目標であり核心となる意義を自分の選択で自己対象に取り込んで、豊かな自己を形づくり、人生を歩むようになるのです。

 

2017年10月22日