心理のよもやま話−一者/二者心理学④

one person/two person psychology④−ひきこもる

ひきこもることは悪いことでしょうか?

それとも良いことでしょうか?

 

そのような「価値判断」をしている時点で、ひきもることの意味に対してセンシティブな洞察を働かせるアンテナが鈍くなっているように見えます。

 

ひきこもっている人に「いつまでそうやってるの、いい加減外に出て仕事みつけてきなさい」と言う時、一者心理学の文脈では、その言葉が信頼関係に基づいた、価値判断を超えた心からのメッセージならば、ひここもっている人の自我を励まして殻の外にでてゆく契機となり得るでしょう。

逆に価値判断を前提にした「いい年をした者は皆定職につくべきだ」などという個人の心を無視した意味合いものならば、それは自我に届かず、超自我をいびつに強くすることになり、ますます殻に閉じこもるでしょう。

 

一者心理学では、ひきこもりは、今のところは弱っている大切な自我を超自我から守っている状態だということができるでしょう。

だから自我の主体性を尊重して、自我が回復する時間を待つ辛抱強さも必要になってくる。

周囲の人にとっては、そういう配慮こそが、自我に届く言葉を伝えるための心のトレーニングにもなってくる。

 

これはこれで妥当な見方だという気がします。

超自我を克服して自我が主導権を握れば、安定して自立した人間として自信をもって生きることができます。

 

ひきこもりの時間はゲームや漫画や空想、悲嘆や回顧など色々と一見生産的でないようにもみえることをしているようですが、二者心理学的にみると自己対象を育んでいるとみることもできます。

 

殻に守られながら、自己にぴったりくると感じられる言語、ストーリー、表現、感情etcを固有の自己対象としてじっくり育てているのでしょう。

それは長い目でみれば、人生のなかで自己という土壌に種をまいて水を供給し、芽吹かせる、豊かな春の時期でもありましょう。

 

そんな目をもって、ひきこもりの人に接することで、彼らは誰にも言えなかった自己の苦悩をぽつりぽつりと話し出し、それに理性的・情緒的フィードバックが返ってくることで、自己対象をさらに豊かに社会性のあるものにしてゆくでしょう。

 

そして、誰かと信頼関係を築けたときに、殻は必要なくなり、現実の人間との信頼関係を元にした理想・尊敬・友情などの要素が揺るぎない自己対象となって人格を彩り、社会性のある生産的な人生を歩むことになるのです。

 

ですから、ひきこもりに対応するには、一者心理学も二者心理学も併せて使う心持ちがあるとよいと思われます。

 

2017年10月30日