心理のよもやま話−一者/二者心理学⑥

one person/two person psychology⑥−葛藤

ところで、川のほとりで悟りへの道を見出し、シッダールタからブッダ(悟りを得た者)になった彼の見出した「中道」とは何でしょうか。

 

それは私が思うに「葛藤」です。

 

理性をもったことで、人間といういささか大自然から遊離してしまった存在を、そんな自分を適切に扱えるのが葛藤ということです。

 

理性は、決められた方法・固定されたやり方(したがって中道ではないやり方)に従えば安心します。

現代では、アベノミクスで経済成長すれば社会は安定、労働時間を制限すれば過労死がなくなって安心etcというように。

 

一方、自由は葛藤の具体的なかたちのひとつでしょう。

ただし、自由というものは本質的に個人的な営みなので、決められた方法・固定されたやり方が存在しません。自力で思考して選び取らねばなりません。

 

ですが、とくに現代では経済的な機能集団に属することを目的に教育されることが多い(良い学校→一流企業→経済成長)ので、集団=他人と違うやり方に不安を覚える人が大多数です。

 

エーリッヒ・フロムは著書「自由からの逃走」で、いかにして人が自由という「面倒くさい」個人的な営みから逃げて、集団に属してスローガンに心酔していれば充実した気分になれる、一見楽な生き方に傾いていったかを書いています。

もちろん、この一見楽な生き方とはナチスの時代のことですし、戦前や現代の日本にもあてはまるところが多いでしょう。

 

さて、人はなにせ心という大自然とつながったものをもっているので、本質的に理性と相容れない部分もたくさんもっています。

 

理性は生物として見れば、脳のなかでは新参者で、機能的には目立つことはできるが信頼性は不安定です。

一方、心は脳のなかでは歴史が古く、膨大な生命の時間の積み重ねに耐えた信頼性があります。

 

一者心理学は、科学が進歩した20世紀初頭の理論で、おのずから理性にスポットをあてたという背景があります。

一方、二者心理学は二度の大戦等で理性に不審を抱き、心にスポットをあてました。

 

しかし、一者心理学も二者心理学どちらにもいくばくかの真実があるが、片方だけでは幅広い人間の営みに対応できないのです。

 

ブッダは中道のなかに、すなわち理性と心を揺れ動くこと(葛藤)こそに、人の本質があると見抜きました。

だからこそ、理性の暴走を戒めるために、理性を超えた大自然の「諸行無常」という摂理、計算づくで対処できる世界など及びもつかない心の広さ「空(くう)」などを説いたのです。

「自由から逃走」するのでなく、自由という葛藤に踏みとどまるために。

 

一者心理学という理性の理論、二者心理学という心の理論。

自分はこの理論に属するセラピストだということは言わずに、様々な心理の考え方の間で葛藤するのがセラピストの本来の姿でもあります。

 

とてもとても一つの理論では人間を取り扱うのに歯が立たないということこそ、ブッダが残してくれた遺産だと思うのです。

 

2017年11月14日