参考になる本など(12)−映画「いまを生きる」

映画「いまを生きる(原題:Dead Poets Society)」1989年/ピーター・ウィアー監督

「いまを生きる」は、一者心理学と二者心理学が簡潔に表現されている映画だと思います。

 

アメリカのエリートの息子達が集まる全寮制の学校が舞台です。

 

思春期に入った男の子達は、親元から解放され、監視の目の緩い寮に入って、煙草を吸ったりします。

しかしその実、親からはかなりのプレッシャーを受け続けています。

この学校に入った動機からして、いい成績をあげて、有名大学に進み、将来は家業を継いでほしい、医者になってほしい、というように子供というより親の願望によって、いまの場所に連れてこられたという面が強いのです。

 

これは、親と子の関係性だけが子供の心を規定している状態、つまり一者心理学的な状態のみの段階で、とりわけ彼らは親の期待を背負って、自我よりも超自我がかなり強い状態なわけです。

 

しかし男の子達は、ロビン・ウィリアムズ演じる型破りな教師に出会って、それまでの窮屈な価値観(=超自我)から徐々に抜け出し、学校に内緒で詩を朗読する会を結成したり、演劇のオーディションを受けたりして、超自我に対抗する自我を育てていきます。

 

自我を育ててゆくには、親から感じたであろう期待や打算、そんな押し付け抜きの生の友情が不可欠なのですが、これは二者心理学でいう自己対象です。

誰かと理屈抜きで信頼し合える関係は、自らの内部に入り込み、自己を支える要素として大切な働きをします。

友達関係の密度の濃い寮生活で、彼らは自己対象を作っていきます。

 

そして、型破りな教師という、自分を刺激し自分の理想となる人の存在も、また同様に自己を支える要素になってゆきます。

 

終盤、父親から演劇に出演することを禁止されたことで、あるひとりの男の子にとって、一者心理学が二者心理学を排除し、超自我が自我を完全に支配してしまうというような痛ましい場面を迎えます。

思春期の人間という、自己を育てている最中の心をいかに大切に扱わねばならないかという教訓です。

 

演劇の練習をしている時、この男の子は「Carpe Diem」というセリフを言います。

Carpe Diemはラテン語で、英語でいえばcatch the day、今日この日をつかめ、今を悔いなく生きよ、というような意味です。

 

二者心理学でいう自己対象は、友情にしろ、尊敬できる人間にしろ、生き生きとした生の人間との触れ合いから、自らの内部に生き生きとした心を培います。

将来◯◯になってほしい、と誰かから言われる時、それは未来のことであり主語は自分ではありませんし、何かフレッシュな感じが欠けている。

今◯◯したい、と言う時にこそ、日々の中にある一期一会というこのうえないフレッシュな人との触れ合いから、自らの自己対象を自らの力で選び取り育ててゆくことができます。

そういう意味で「Carpe Diem」は二者心理学にとってのキーワードであり、この映画の象徴となるセリフでもあるのです。

 

2017年11月21日