心についてのメモ書き−技法の応用②

カウンセリングの技法を日常会話へ応用する②ーコンテキストを汲む

会社の部下が何かミスをおかしたとします。

上司であるあなたは、気を使ってさりげなく声をかけ、皆の前でミスを話題にすると彼を傷付けるだろうと配慮して、会議室に呼んで二人だけで話をします。

向かい合って席に座り、開口一番あなたが、

「なぜ、あんなことをしたの?」

と言うとしたら、その会話はうまくいかないかもしれません。

 

職場であれ、カウンセリングであれ、このようなわりにシビアな場面での会話は、通常の屈託のない会話とはまるで違う雰囲気が存在します。

それは「コンテキスト」(=文脈)、経緯や背景のことです。

 

この部下はミスをしてしまったことで、他人からどうこう言われる前に、既になにがしかの自責の思いを抱いていることでしょう。

また、上司に呼び出されたことで、何を言われるか内心びくびくしながら、見を固くして、身構えているでしょう。

これらが、この場面におけるコンテキストです。

 

そして、ただでさえこのような心境におかれている彼に「なぜ?」と問いかけることは、次の理由で問題があると思います。

 

日本社会では、「なぜ〜したの?」「なんで〜なの?」と聞くこと自体、既になんらかの非難の色合いを帯びています。

 

日本人は、欧米人のように「ホワイ?」と聞かれたら、質問されたことを自分のなかで一旦客観的に考えて(考えようとして)から「ビコーズ、◯◯だからです」で返すという、一対一の対話の文化にありません。

日本人は、やはり可能な限り一対一で自分をさらけ出すような会話を避ける傾向があると思います。

 

このような意味合いで、言葉自体にも文化特有の「コンテキスト」があると言えると思います。

(ちなみに、私は、この日本的な会話文化は、言葉という限界のあるツールに頼らず、相手の感情を非言語的にも読み取って、お互いの関係を豊かにする高等技術だとも思っています。)

 

ですから、突然馴染みのない会話形式に放り込まれたこの彼は、混乱してしまうでしょう。

 

加えて、「なぜ〜?」という疑問文は、単純に文法的な意味を捉えても、その理由の説明の一切合切を相手に義務づけています。

それは必然的に「私が◯◯と考えた」「私が◯◯した」等、聞かれた側が色々な出来事の主語となって答えざるを得ないような重荷になってきます。

相手は聞かれた時点で、プレッシャーや徒労感に襲われているのです。

 

このような場面では、コンテキストを踏まえたうえで、(背景的にであれ言語的にであれ)コンテキストに正面対決しないような対応をするとよいでしょう。

 

具体的には、質問する対象をその場にいない人や出来事に設定する=この部下をターゲットにしないことで、相手の雰囲気を和らげていくこともできます。

例えば、

「他のメンバーのサポートに何か問題があったかな?」

こうあなたがつぶやくだけで、部下は「この上司は私を一方的に責めるのでなく、自分の(チームの)責任も考えてくれている」と知って気持ちが軽くなり、あなたを信頼し、徐々に思いのたけを吐き出すでしょう。

 

2017年12月12日