参考になる本など(14)ー「神経症の時代 わが内なる森田正馬」

「神経症の時代 わが内なる森田正馬」渡辺利夫著・阪急コミュニケーションズ

英語の勉強をする時、ひとつひとつの単語だけを丸暗記するのでは、その単語が使われる文脈・文章構造が抜け落ち、そもそもそういう文章構造を生み出すに至った総体としての文化をもつ英語という世界を捕捉できなくなり、その結果全く広がりも根っこもない単なるインプット作業になってしまいます。

 

あるいは法律、芸術、政治など、どんな分野でも、その歴史を学んではじめて、その分野の全体像を把握でき、そこからが本当の意味での勉強・研究の出発点になると思います。

あらゆる現象は、過去の出来事や活動が蓄積された結果、現在にその姿を形成しているので、歴史を学ばないことには現在の姿に込められた意味を汲み取ることはできません。

(タモリは、この点を深く理解しているので、地層や街など、歴史に造詣が深いのだと私は想像しています)

 

さて、日本では大正期に森田正馬という医師が、森田療法という日本人の特性に合わせた精神療法を開発しました。

森田療法を知らないという人もたくさんいると思いますので、この面白い療法を創出した人物の歴史を知って、役に立てるために「神経症の時代 わが内なる森田正馬」という森田の伝記をご紹介します。

日本人のための(森田療法)日本人による(森田正馬)日本人の(この本の著者)歴史ですので、これはもう分かりやすいです。

 

大正時代、日本の精神医学の礎は主にドイツからもたらされ、後にジークムント・フロイト等の精神分析理論等も輸入されました。

しかし森田は、ヨーロッパから入ってきたそれらの理論が日本人には合わないことを実感します。

 

お決まりと言ってもいいのですが、何らかの革命的な療法を生み出す人は、その人自身が精神的苦悩を経験し、その克服の過程(歴史)で自らその方法を体得していくことがほとんどです。

森田も強迫性の神経症者でした。

 

そして、人間たるもの、必ずその時代の社会の影響を受けています。

森田の生きた時代は、富国強兵の国策のもと、心を置き去りにしたまま近代化への道を進んでしまい、精神的苦悩を持つ若者が増え始めていました(これは現在とほとんど変わりませんね)。

同時に結核をはじめとする病は依然として克服されておらず、森田は生涯のほとんどを結核を病んで過ごし、死の恐怖に苛まれて精神的に追い詰められます。

 

私がみるに、森田は、ヨーロッパの理論は、個人の理性が確立していることを前提にしているので、日本人にそのまま適用出来ないことを悟ったのだと思います。

当時の(そしておそらくは現在も)日本人は、個人ももっているけど集団にも所属感がある、理性というよりも融通無碍とか自然や季節との一体感といった感覚的なものに精神が依って立っている、森田はこんなことを自らにも照らし合わせて森田療法を考えていったのでしょう。

 

ですから森田療法は、理性のみにしがみついて自分本来の感覚を見失っている患者を入院させ、理性が根源的には何の力ももっていないことを感覚の側から(アタマでなくココロの方から)体得させる「底打ち」のような体験をさせることを眼目としました。

日本人には理性サイドよりも、感覚サイドからアプローチしたのです。

 

この療法は現在でも、森田がかつて拠点として働いた東京慈恵会医科大学の森田療法センターをはじめ、いくつかの機関で進化したかたちで実践されています。

(強迫性障害・不安障害等の神経症の方に有効とされています。

 

2018年2月6日