心理のよもやま話−神経症②

日本社会の神経症体質について

「想定外」という言葉を耳にする機会が増えました。

2011年の原発事故、昨年の草津白根山の噴火等々。

 

想定「外」と誰かが言う時、必ず想定「内」があるはずです。

その「想定」とはおそらくこのような感じのものです。

 

(予め用意しておいた想定=入れ物に入り切らない事態が起きた時)、「容れ物に入りませんでした。私達は容れ物を一生懸命作ったので、これに入らなくても私達の責任ではありません」

要は、前もって準備されていた基準やマニュアルから外れる事態に直面したときには何も出来ません、と言っているのです。

 

この精神構造も、前回触れた神経症の範囲に入ります。

自分ではなく、外部のマニュアルに判断を丸預けしているのですから。

 

想定外という言葉を使用する人達は、特に官公庁や大企業に多い気がします。

そういう精神的な「体質」の源を少し考えてみます。

 

江戸末期以降、欧米列強の支配に危機感を覚えた人達が次々と出てきました。

彼らは、明治政府樹立、日清戦争、日露戦争といった大きな困難を乗り越えるリーダーシップを発揮しました。

日露戦争あたりまで、政府の舵取りをしたのは帝国大学を出ていない、むしろそういう決められたエリートコースと反対の環境で育った人達でした。

 

坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛etc

陸奥宗光、児玉源太郎etc

いずれも若いときから各々敷かれたレールの存在しない環境で、己だけの感覚を頼りに生きてきた人です。

そういう人たちであったからこそ、初めての、つまり「想定外」だらけの難局に直面しても、もともとマニュアルも持ち合わせていませんでしたから、枠に囚われず、想定外だと考えることなく言うことなく、決断し行動してゆけたのだと思います。

 

しかし、日露戦争以降は帝国大学で「エリート」教育を施された人たちが政府の中枢を占めるようになります。

立身出世という聞こえは格好良いが、エリートコースに乗りさえすれば人生安泰だと考えている人が日本の政府をリードしていくようになったのです。

自分の内部でなく、エリートコースという自分の外部に安定を求める神経症構造が日本の中枢に巣食い始めます。

 

自ずと自分達だけの特権を守るために、エリート意識をもつ人たちが官僚組織を強化していきます。

その強化の過程には、本人たちにしてみれば未来の日本の政策形成が中心にあったはずです。

しかし、ご存知の通り、日露戦争より後から太平洋戦争に至る30年ほどの間に起こったことを振り返ると、ことごとく硬直化した対応しかできませんでした。

 

それは、エリート意識、官僚組織というその形成過程そのものが「外部」に依存するという神経症構造をもつため、真の政策、すなわち修羅場に直面しても、前例や規則にとらわれることなく「自分で」決断できる感覚をもつリーダーを持つこと自体を不可能にしていたのです。

 

戦後も、公務員あるいは大企業を目指して人生コースを進める風潮は、政府の政策(偏差値教育、経済至上主義、官僚支配など)により強化され、国民の間に伝播し続け、ついには原発事故に際しても「想定外」と口に出して憚らない、国家ぐるみの神経症構造を作ってしまったのです。

 

2018年2月20日