心についてのメモ書き−アイデンティティと神話⑥

うつはわたしの神話(1)

現代日本では、真に自分の人生を生きるためには、神話でいう「喪失」を一旦は経験せざるを得ない気がします。

 

今の日本の政治や社会の資源配分は、なんだかんだ言っても、田舎より都会優先、個人のチャレンジより企業の経営優先、教養・文化を担う人材よりも企業で働くための人材育成が優先です。

そのアウトラインに沿っていけば結局は物質的、集団主義的なものに、社会の価値観や政治のリソース配分の重点が置かれていきます。

 

こういう社会ですから、そこに暮らす人間は、

共同体のような豊かな精神的土壌のない都会で育ち、

偏差値というたったひとつの物差しをみて勉強し、

企業の規模だけをみて就職先を決める。

また、そもそも親がそういう人生を歩いてきているので、それ以外の人生を知らない。

 

しかし、それは神話でいう喪失そのものです。

いや、たいていの人は喪失している、という自覚さえないので、神話物語のとっかかりもつかめない不毛な人生を生きています。

 

そして、不毛な人生に我慢できなくなった人が、喪失という神話物語への自覚を求めて分け入る境地がうつ状態です。

 

では、喪失しているものは何か?

 

自分です。

 

無意識は既に自分を喪失していることを知っています。

だけど、意識はそれに気付かず、親の言うことを聞いたり、周囲に合わせたり、皆と同じことをすれば安心だ等という妄想からなかなか離れられません。

そのこと自体が自分を窒息させ喪失させているのに。

 

それで業を煮やした無意識が色んな症状を心や体に作り出すのが、うつというものです。

そして、もうどうしようもなく苦しくなって、これは単なる身体の不調ではないと気付いた時が、喪失の自覚、つまり自らの神話の始まりです。

 

どうしてこんなに苦しいのか(何を喪失したのか)知りたくて、ネットで検索する、膨大なうつ関係の書籍類から良さげなものを読んでみる、ついに心療内科に行って睡眠薬をもらったりする、でも心の喪失感は消えない、焦燥感や不安で一杯になる・・・。

こんなことが数年続く方もおられます。

神話の旅の序盤は厳しくときに長いものです。

 

ある日勇気を出して、信頼のおける友人に打ち明ける、カウンセラーにコンタクトする、縁あって良質な書籍に出会うetc・・・。

神話の旅の「お手本となる/共に旅してくれる人物や存在」の登場です。

神話ストーリーが一歩前進します。

 

そして、次なる段階「出立」へ向けて、試行錯誤が始まります。

この出口がみえない段階は苦しいのですが、必要な苦しみです。

 

神話とは自分さがしなのです。

うつという状態は自らの神話を始めるための胎動なのです。

悪いものでは決してありません。

そうなった人はむしろそれをチャンスとみるべきです。

「自分」を失っていることに気づかないふりをして一生を終える人はたくさんいるのですから。

 

2018年4月17日