心についてのメモ書き−アイデンティティと神話⑦

うつはわたしの神話(2)

はっきりとは分からないけれど、何かを喪失をしていることに悩み苦しみ、なんらかのきっかけで悩みを共有できる人や相談できる対象を見つけたうつ状態の方は「出立」へ向けて歩きはじめます。

 

出立する為には通らなければいけない試練があります。

「直面化」です。

 

すでに無意識は自己の喪失を知り、心身を通してそのサインを出し、またその理由さえ悟っています。

一方、意識はそれまでのやり方にしがみつき、無意識のサインを見ようとしませんし、見ようとしてないこと自体にも気付いていないのです。

 

ですので、「見ようとしないこと」をなんらかのかたちで提示して、本人に向き合ってもらうのが直面化ということです。

直面化は本人にとってはまことにつらいプロセスですから、直球勝負でまともに面と向かってそのことを指摘するのでは、本人だって「なんだこの!」という抵抗する気持ちになって受け入れられないものです。

 

かと言って、素直で「お勉強」することに慣れている人などが、直面化を上っ面だけの単なる知識として仕入れるならば、深い変化は何も起きません。

主体的なものではないので、自らの身を削って未知の世界を旅する神話物語の迫力からは遠くなってしまいます。

 

そこで、神話の旅のもうひとつの要素「お手本となる/共に旅してくれる人物や存在」が重要になってきます。

同じ傷をもつ存在が近くにいたら、その人の経験を素直に受け入れることも可能でしょう。

カウンセラーは、本人が自発的に気付くようにカウンセリングを進めるでしょう。

 

そして、

「ああ、たしかに私は何かにしがみついて窮屈な生き方をしていたかもしれない」と直面化することができるようになります。

それは「自分で自分に気付く」といった感覚です。

つまり、窮屈の元だった「意識」と、窮屈ではない方向を示してくれていた「無意識」との間で、すなわち自分の内部で対話することが可能になってくるのです。

 

ちなみに心理学ではこれを「アハ体験」といいます(欧米人が深い嘆息の時に言う「a〜ha〜」から来る)、「わかったぞ!」とか「腑に落ちた」ということです。

自分の力で辿り着いた境地なので、表面的でなく、深いところにある感情が動いて、大きなエネルギーが湧いてきます。

 

この直面化を乗り越えれば、あとはゆるやかな道です。

助けを借りながら、あるいは自己の内部での対話の結果、ついに無意識だけでなく意識でも、喪失していたものを知るに至ります。

「私はいままで自分を生きていなかった!」と。

 

それは、例えば、周囲に合わせて嫌われないように等といった親からのしつけ的な思考、一流企業に勤めて30歳くらいで結婚して等の世間の同調圧力的思考、こういった思考と直ちに決別することをもたらします。

 

偽物のアイデンティティとの決別です。

そして、これこそが「出立」です!

本物のアイデンティティへの旅が始まるのです。

 

この段階でうつに伴う心身症状は劇的に解消されます。

窮屈な偽の生き方を離れると重荷がなくなり、目の前の霧が晴れ、今までの苦しみがうそのようにラクになります。

無意識が意識に受け入れられると本来の自分というものを実感できるので、見る風景や食べ物の味も新鮮なものに変貌してゆきます。

 

人は、自らの神話の「出立」をこのように全うするのです。

 

2018年4月24日