心についてのメモ書き−アイデンティティと神話⑧

うつはわたしの神話(3)

うつ解消後=つまり「出立」後は、しばらくは幸せな日々が続きます。

 

それまでの(偽の)生き方に決別した、いわば第二の誕生ですから、赤ちゃん同様見るもの、会う人々や自然の営みを新鮮な体験と感じます。

今までと違い、対象を「自分の目」で見るようになるので、自分に対し自分で歓びを感じられるようになるわけです。

 

でも、ほどなく「冒険」の日々がやって来ます。

既に「出立」した自己は、自分独自の感覚に目覚めており、必然的に自分らしい生き方の探求を始めざるを得ません。

 

但し、この冒険ははじめのうちは戸惑うこともあります。

それは、社会との関わり方を一から、今度は自力で作り上げてゆかねばならないからです。

その作り上げてゆく過程を神話物語の「冒険」とよぶのです。

 

本人にしてみれば、それまでの価値観ややり方を放棄していますから、人とどう関わっていったらいいのか、試行錯誤しながら習得していく趣になります。

職場等の環境が変わらない場合など、本人にしてみれば自己イメージ(自分に対する自分の見方)は180度転換しているのに、周囲はそれに気付いていませんから、同僚等がそれまでと違う本人の言動に戸惑ったりすることも起こり得ます。

 

それは孤独な冒険です。

なにもかもおのれの物差しを基準に判断し、同時に生きていくための糧をも手に入れなければいけないわけですから。

(この試行錯誤のプロセスに似たテーマを「価値観」を軸に以前書いたことがあります。大幅な価値観の組み直しを行いかつ実行するという点で、決定的な自己変容となります。)

 

しかし、本人はその孤独を心地よいと感じています。

すでにゆるぎない自己肯定感がありますし、それを尺度に生き方を主体的に決めていくので、以前のように世間や周囲に翻弄される心の不安定感とは無縁です。

 

これを自由といいます。

 

はじめのうちは、やり方が見つけられなかったことでも、ほどなく自分なりのやり方を見つけてゆきます。

まがりなりにも一回は社会のなかで生きているわけなので、コツをつかむのも早いのです。

 

意識の良い面を駆使して、大胆さやずる賢さがミックスされたりします。

また、人間の「本物」と「偽物」を見分けられるようになっているので、信頼感のある濃い人間関係を築けるようになります。

つまり、ストレートにかつ上手に感情や気持ちを表現できるようになるのです。

こうなると、いつしか冒険の不安は半ばわくわく感や平穏なものへと変わってゆきます。

 

もう既に「本当の自分」を生きています。

アイデンティティの確立!です、

ついに神話物語のラスト「帰還」をむかえます。

 

帰還とは「本来の自分への帰還」なのです。

 

そう書いておきながら、ここで思うのですが、人によって、この「冒険」期間は相当長いものになるのかもしれません。

というのも、人それぞれ、仕事、結婚、子供の誕生、住む場所、自身の病気、友人との関係、親との永遠の別れ、そしていつか必ず来る自らの死・・・。

 

生きていれば色々なことが全て変わってゆきます。

 

そういう長い「冒険」のあいだにも自身の「喪失→出立→冒険→帰還」を繰り返してゆくのが流転する私達の人生の本来の姿なのかもしれません。

 

しかし、そのような自然なプロセスに対して、自らを開いている限り、わたしたちは自由であり、すなわち自分の神話を体現していることになると思うのです。

 

2018年5月1日