心理のよもやま話ー面談方法

面談方法=人間観の違いについて

またまた、西洋との違いについて書きます。

 

心理カウンセリングでも、色々なスタイルがあります。

 

伝統的な精神分析では、クライアントがリクライニングチェアやベッドに横になり、カウンセラーと顔を合わせずに話をします。

 

当ルームも行っている対面でのカウンセリングは最も一般的です。

一対一という基本的なものもあれば、家族療法など家族の数名対複数のカウンセラーというものもあります。

集団療法では、数名のクライアントと複数のカウンセラーやファシリテーターがいて、ある場面ではクライアント同士がクライアントとカウンセラーという関係になることもあります。

一対一から社会に近い関係まで色々あるわけです。

 

また、電話(これも当ルームは行っています)もありますし、スカイプ等では映像付きでの会話が可能です。

 

言うまでもなく、精神分析が一番最初に考案された方法です。

これはもともと、西洋人がキリスト教の教会の告解部屋という小さい部屋にひとり入り、そこに設えられたカーテンのかかった小窓等を通し、自分だけの秘密の苦悩や罪を小窓の向こうにいる顔が見えない聖職者(ひいては神)に告白して赦しを得る、という伝統がもとになっていると思われます。

人ひとりしか入れない告解部屋は、西洋文化の、個人が単位・基準である考え方が端的に表れているものです。

 

色々な苦悩を持っているものの、自分という輪郭・境界ははっきりしており、自分外部とのやり取りについても最終責任は自分にある(自分から希望した場合にのみ告解部屋に入る)。

また、相手の顔は見えないということは、コミュニケーションの手段はほぼ言語に限られます。

言葉に依拠する西洋人のロジック思考に適しています。

 

それと、相手の顔が見えないと、自ずと自分内部に注意が向けられてきます。

何度か精神分析を体験すれば分かりますが、それはちょっと日常会話では得られない繊細かつ深みのある内省の機会となります。

この境地はおそらく西洋人の根幹にある自分と神との対等な契約=対話という精神なのでしょう。

 

一方、東洋人に精神分析の手法が合うのか、というと人様々だと思います。

自我がしっかりしていて、言葉やイメージに馴染みがあるなら、向いていると思います。

かたや、相手の顔が見えないと不安だ、横になる姿勢自体が無防備でいやだ、という人は対面の方がよいでしょう。

自分の内部を色々見るよりも、日常のことや今後の心構えについてきちんと相談したい、という人も対面です。

 

私佐藤個人としては、姿勢や表情、話の内容に応じたご相談者の醸す雰囲気を感じ取りたいので、対面にしています。

同様に、こちらの表情や身振り、気迫等を感じ取ってほしいという理由もあります。

東洋人は、こういう言語以外の要素に親和性があると思います。

 

電話ですが、当初私は電話では充分にコミュニケートできないと思っていましたが、むしろ精神分析のように言語に集中し、対面に比べると捕捉できる範囲は若干限られる気がするものの、対話の深度という意味での充足感は高い気がします。

言語による表現に自信があるなら、電話も悪くありません。

 

こう書いてきますと、あまり西洋人と東洋人とで心理療法のスタイルに実質的な違いや不都合はなさそうです。

個人、言葉、ノンバーバル(言語以外の要素)という要素の重みつけに文化の違いが多少表れているくらいのことのようです。

自分に合った方法を選べばよいということです。

 

2018年7月23日